『四国の高松大空爆、目的は、民間人10万人の大虐殺‼️』


B29が、なんと、116機だ…
一機で、10人あたりしか殺さないなら手打ちで、十分だね…


ミカエルです



空襲っていう言葉は、悲惨さを、まぎらわすテクニック…


10万人の都市を、大戦隊で、空爆して、1000人しか、成果が無かったとしたら、


パイロットは…殴り倒されるだろうね…

もしくは、処分、移動…




『総務省』ホームページ


高松市における戦災の状況(香川県)

1.空襲等の概況

 昭和20(1945)年7月3日午後11時ごろ, 空襲警報が鳴り響き, 市民は毎日のような警報の発令に「またか」と思いながら空襲に備えた。しかし, このとき爆撃はなく, 空襲警報はやがて解除され, 市民は安心して床についた。

 ところが, 翌7月4日午前2時56分, 突然空襲が始まり, 10分ぐらい経過したときには, 高松市の中心部は火の海となっていた。それでもB29による爆撃は, 執拗に続けられ, 爆撃が終わるまで106分を要したという。

 このとき投下された爆弾は, 高性能爆弾24tと焼夷弾809t(100m2当たり約2.7kg 焼夷弾8個平均)というものすごさであった。

 被害建造物では, 一般住宅が大半を占めたが, 官公署,学校,神社,寺院,教会,銀行,会社,工場などの被害も大きかった。学校は市内の30校のうち19校が被災, 神社は50社のうち27社, 寺院は79か寺のうち63か寺, 教会は26か所のうち16か所が焼失している。




24000キロの爆弾
809000キロの焼夷弾、つまり、放火爆弾


こんな狭い町に、80万キログラムって、どんだけー?
どんだけ、焼き殺したいのよ…



私の町は、全焼したけど、
ご町内の誰が、亡くなったか、だーれも、全く、知らない…
それなのに、戦死者、端数の1人でなぜ、数えられる…
そこが、嘘っぱちだって言うのよ…


亡くなった人達は、軽トラックで運ばれて行った…
死体は、またいで、歩いた…
そんな中で、どうして、何十何人まで数えられる…?

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