によると、

明治時代、外来語を日本語に直したのは、

どうも、文部省じゃなかったらしい。

正岡子規のような一般人が、主に考察してくれていたらしい。

ちなみに、子規の本名は、『昇』のぼる。

野球と書いて『のボール』が、雅号だったらしい

中馬庚が、「野球」名命者ですって、

『楠木誠一郎』さんの文章でした。

お上を頼ってたらいけないのね、自分達で考えないと。

まっ、正岡子規を一般人と呼ぶのは、どうかと思うけど。

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