『セカイガ ツナガル
福山雅治』
言葉と、音楽と、記憶



今日の朝日新聞。朝刊。

                         ミカエルです






言葉は時代をつくることができる。






誰かの傷をいやすことができる。






誰かの無意識を夢にすることができる。







たったひとつの言葉で世界が変わることもある。










言葉は時々歌になる。





                      福山雅治のコトバ










朝日新聞創刊130周年だそうです。


全面4面にわたって特集・・・。






ラジオの予告って、効きますよね☆



『道標は、祖母にむけて』
ってことになってるけど、
普段、ラジオを聴いてる人間には、
つい、母親の勝子をおもいだしてしまうのだ。

もし、間違って欲しくなかったら、
「おばあちゃん」っていう単語をいれてるはずだから、
きっと、間違ってもいいんだよ♪




まだまだ、気分は男の子の福山は、
心の中で、母親に感謝していても、
むこう10年は、口に出す事はないのではないかと思う。
(言いすぎ?)
いや、してたら、ごめん。
まあ、まだまだ、ぶつかるしね?

でも、ラジオのトークの中で、福山は、

地位も、収入も、社会的なキャリアなど、何もない母親達も、

必死に社会と戦いながら生きる母親も

女手一つで子育てしている母親も

ただ、人を育てたというだけで、

充分にねぎらってくれるのだ。

就活が、まっさかりになればなるほど、
男の子が、母親に敬意を払うのが難しい世の中になっていくんじゃないかと思うけれど・・・。

そんなわけで、アタシは、この歌は、祖母にささげる歌という名のもとに、
もちろん、おばあちゃんが中心だけれども、
自分を育ていつくしんでくれた、人たち、

先輩や、恩師もふくめて、謳い上げた歌だと思うのだ。



一度、作者の手を離れた歌は、
聞く人によっていく色にも染められる・・・
それで、いいんだよね?♪



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