『朝青龍へのインタビュー』モンゴルでの☆
2010年5月28日 アニメ・マンガモンゴルBBSで、
モンゴル本国で行われた朝青龍関へのインタビューを見つけました。コピペですけど・・・
日本の新聞、週刊誌では、見た事がなかったので掲載しておきます。
朝青龍関は、四国の高知の高校出身です。
相撲の事はよく知りません。
でも、
モンゴルの誇りである前に、
日本では、四国の誇り、
高知の誇りに、きっと、なって下さいね。
日本で生きていくためには、
そういう地元の応援が必須なのです。
★ Unen baidal / iimerhuu l baina. 引用
国営モンツァメ通信社発行「モンゴル通信」
2010年3月19日 No.10(第243号)、8面
前号にお伝えした通り、11日、元横綱朝青龍が引退後初めて帰国し、記者会見を開いた。記者会見にはモンゴルと日本から100人余りの報道陣が詰めかけたが、日本の報道陣の質問には応じないと事前に伝えてあった。会見は質疑応答の形で、暖かい雰囲気の中で行われた。以下に会見の詳しい内容を紹介する。
(モンゴルを正しく理解して日本に紹介しようとする心ある日本人・モンゴル人の間で、インタビュー内容の誤訳に基づいて朝青龍バッシングを続ける日本のマスコミの姿勢に対する批判が出てきています。そのような事情もありますので、弊社では朝青龍のインタビュー内容をできる限り正確に翻訳するよう努めました)
Q. モンゴル国の名を世界に轟かせ、大相撲で活躍中の引退は当然ながら残念なことでした。相撲の土俵上では日本語で話すことになっているが、横綱は25回目の優勝の授賞式ではモンゴル語で挨拶されました。モンゴル語での挨拶はかなりの勇気が必要だったのではないですか。相撲界に入ってから一番の思い出は何でしょうか。
A . 母国に大急ぎで帰って来ました。故郷、国民の皆さん、両親のことをよく思い出していました。私にとっての第二の人生が始まっています。大相撲の土俵の上で優勝するというのは毎回冒険のようなものであって、喜びもあり、誇りであり、胸の奥には涙もあるなど、様々な色と風景でした。モンゴル人の私には、大相撲の土俵でモンゴル語で挨拶したいという思いが初めからあって、そのため国民の皆さんに25回目の優勝の時にモンゴル語で挨拶したのです。過去をふり返ってみると良い思い出がたくさんできました。全ての取り組み、勝敗が私には大切なものです。その中で最後の場所が最も思い出深く感じられます。
Q. ご引退をお聞きして、国民はみんなショックを受けていました。ご本人にとってはもっと大変なことだったでしょう。引退の理由は何だったのでしょうか。
A. 朝青龍にとって、常に「問題の標的」で「ペンを突き刺すポイント」になってきました。これら全てを乗り越えるぞという思いで辛抱強くやってきました。ところが、乗り越えさせないという考えの人々もいました。その人たちは強かったです。けれども私は、早期引退してしまったとの後悔は全くありません。日本の伝統的なスポーツである大相撲を世界にアピールするのに私は貢献できたと思っています。モンゴル人のプライドや誇りをも相撲の土俵上で示すことができました。本当のことを言うと、日本のメディアで何度も報道された他人の鼻を殴って骨折させたことは一切ありません。男同士、口論になったことはありますが、私たちは後で分かり合っています。
Q. 今後の目標は何でしょうか。政治家になるという噂もありますが。それともビジネスに挑戦しますか。
A. メディアでは私が政治の世界に入る、ビジネスをする、さらにプロレスに挑戦するなどいろいろ書き立てています。今のところ、これらのいずれの道も選んでいません。私はまだ29歳です。若者が、国のために役に立ち、モンゴル国の発展のためいつでも尽力する覚悟です。今のところはっきりした計画はありません。
Q. 再婚するとお聞きしましたが、本当でしょうか。
A. 今のところ再婚するということはありません。2人の子供のことをいつも思ってきました。子供たちも大きくなっています。国にいる間は、子供たちを可愛がって過ごすつもりです。プライベートについて細かな計画は今のところありません。
Q. 米国で生活されるおつもりですか。
A. 若者が外国を見て視野を広げるためにハワイ島に行ってきました。米国も見てきました。今のところあそこで暮らそうという考えはありません。
Q. 海外のテレビ局や通信社は元横綱の側に立ち、日本人は外国人力士が記録を破ることを恐れ、朝青龍を差別して引退させてしまったと報道していました。
A . 率直に言えば、相撲協会の規律・規則は厳しいものですよ。朝青龍にとっては行動、心の動き、相撲の取り口、センスがある人々には受け入れられ、別の人々には好ましくない印象を与えていたのでしょう。私も勝利のために頑張ってきた人間です。間違いも正しいことも両方あったでしょう。
Q. 元横綱はこれからモンゴル相撲を取られますか。
A.(笑)以前はモンゴル相撲を取っていましたよ、私は。相撲を取りたくて仕方ないですが、取らないでしょうね。
Q. 人には自分が目指す目標がある朝青龍「日本の伝統的なスポーツ相撲を世界にアピールするのに私の貢献があると思います」と思います。もし大相撲を続けていたら何回優勝できるとお考えだったでしょうか。
A . 人間はロボットではないですよ。スポーツというものは深遠なもので、人の力は年齢と共に衰えてきます。毎年ほかの力士たちが強くなってきて、私の力が弱くなっていたことを否定する気はありません。それでも、精神力は全く衰えていませんでした。精神の強さというものは肉体の強さの出発点であるだけでなく、勝利の瞬間には最も大切なものです。ですから、私は今後30回を越えて優勝できたのではないかと思っています。
Q. 横綱のように成功できるモンゴル人力士が相撲界にはいるでしょうか。
A. 同じように成功して欲しいと思っています。モンゴル人が良い取り組みをするよう、モンゴルの名を轟かせるよういつも願っています。
Q. 横綱が期待しているモンゴル人力士は誰でしょうか。横綱は相撲界ではにらまれていましたが、他の力士の励みになっていました。残った力士たちに何を伝えてきましたか。
A. 大関日馬富士、D.ビャンバドルジへの期待が大きいです。横綱白鵬は10回以上優勝して自らの地位を確立しました。その一方で、D.ビャンバドルジには良い相撲を取って横綱になって欲しいと願っています。伝えてきたことはあります。日本人全てに不満をもって傷ついているということはありません。日本人の中には私を応援してくれる人がたくさんいます。ですから、相撲界に残った
力士たちに、兄として横綱として良い取り組みをして成功するように伝えてきました。
Q. 横綱は強い力士の家系のご出身ですが、将来お子さんを大相撲に入門させますか。
A. 人の夢を制限するということは良いことではありません。相撲は厳しいスポーツです。また相撲の敷居は高い。それでも、子供が努力すると言うなら、私がそれをやめさせることはできませんよ。
元横綱は、集まった報道陣と兄弟や親しい友人とでも話しているような穏やかな会見となりました。作り笑いや質問から逃げようとするような態度は一切見えませんでした。ある記者は横綱の家に泊まらせて欲しいと許可を取り付け、またある記者はチンギス・ハーンを演じてはどうかとの提案もした。会見中、親方について「私にとって仏様のような先生。私たち子弟は相手の目を見るだけで全てを理解し合うことができていました」と語りました。会見には北京オリンピック金メダリストのN.トゥプシンバヤルとE.バダルオーガン、銀メダリストのP.セルダンバ選手も出席し、元横綱のこれからの幸せを願いエールを送った。
会見当日、朝青龍は第二産婦人科病院を視察し、新生児にプレゼントを贈った。元横綱は生まれたばかりの男の子に自分の名前「ダグワウドルジ」を贈った。
No.2542 - 2010/03/26(Fri) 15:56:28
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モンゴル本国で行われた朝青龍関へのインタビューを見つけました。コピペですけど・・・
日本の新聞、週刊誌では、見た事がなかったので掲載しておきます。
朝青龍関は、四国の高知の高校出身です。
相撲の事はよく知りません。
でも、
モンゴルの誇りである前に、
日本では、四国の誇り、
高知の誇りに、きっと、なって下さいね。
日本で生きていくためには、
そういう地元の応援が必須なのです。
★ Unen baidal / iimerhuu l baina. 引用
国営モンツァメ通信社発行「モンゴル通信」
2010年3月19日 No.10(第243号)、8面
前号にお伝えした通り、11日、元横綱朝青龍が引退後初めて帰国し、記者会見を開いた。記者会見にはモンゴルと日本から100人余りの報道陣が詰めかけたが、日本の報道陣の質問には応じないと事前に伝えてあった。会見は質疑応答の形で、暖かい雰囲気の中で行われた。以下に会見の詳しい内容を紹介する。
(モンゴルを正しく理解して日本に紹介しようとする心ある日本人・モンゴル人の間で、インタビュー内容の誤訳に基づいて朝青龍バッシングを続ける日本のマスコミの姿勢に対する批判が出てきています。そのような事情もありますので、弊社では朝青龍のインタビュー内容をできる限り正確に翻訳するよう努めました)
Q. モンゴル国の名を世界に轟かせ、大相撲で活躍中の引退は当然ながら残念なことでした。相撲の土俵上では日本語で話すことになっているが、横綱は25回目の優勝の授賞式ではモンゴル語で挨拶されました。モンゴル語での挨拶はかなりの勇気が必要だったのではないですか。相撲界に入ってから一番の思い出は何でしょうか。
A . 母国に大急ぎで帰って来ました。故郷、国民の皆さん、両親のことをよく思い出していました。私にとっての第二の人生が始まっています。大相撲の土俵の上で優勝するというのは毎回冒険のようなものであって、喜びもあり、誇りであり、胸の奥には涙もあるなど、様々な色と風景でした。モンゴル人の私には、大相撲の土俵でモンゴル語で挨拶したいという思いが初めからあって、そのため国民の皆さんに25回目の優勝の時にモンゴル語で挨拶したのです。過去をふり返ってみると良い思い出がたくさんできました。全ての取り組み、勝敗が私には大切なものです。その中で最後の場所が最も思い出深く感じられます。
Q. ご引退をお聞きして、国民はみんなショックを受けていました。ご本人にとってはもっと大変なことだったでしょう。引退の理由は何だったのでしょうか。
A. 朝青龍にとって、常に「問題の標的」で「ペンを突き刺すポイント」になってきました。これら全てを乗り越えるぞという思いで辛抱強くやってきました。ところが、乗り越えさせないという考えの人々もいました。その人たちは強かったです。けれども私は、早期引退してしまったとの後悔は全くありません。日本の伝統的なスポーツである大相撲を世界にアピールするのに私は貢献できたと思っています。モンゴル人のプライドや誇りをも相撲の土俵上で示すことができました。本当のことを言うと、日本のメディアで何度も報道された他人の鼻を殴って骨折させたことは一切ありません。男同士、口論になったことはありますが、私たちは後で分かり合っています。
Q. 今後の目標は何でしょうか。政治家になるという噂もありますが。それともビジネスに挑戦しますか。
A. メディアでは私が政治の世界に入る、ビジネスをする、さらにプロレスに挑戦するなどいろいろ書き立てています。今のところ、これらのいずれの道も選んでいません。私はまだ29歳です。若者が、国のために役に立ち、モンゴル国の発展のためいつでも尽力する覚悟です。今のところはっきりした計画はありません。
Q. 再婚するとお聞きしましたが、本当でしょうか。
A. 今のところ再婚するということはありません。2人の子供のことをいつも思ってきました。子供たちも大きくなっています。国にいる間は、子供たちを可愛がって過ごすつもりです。プライベートについて細かな計画は今のところありません。
Q. 米国で生活されるおつもりですか。
A. 若者が外国を見て視野を広げるためにハワイ島に行ってきました。米国も見てきました。今のところあそこで暮らそうという考えはありません。
Q. 海外のテレビ局や通信社は元横綱の側に立ち、日本人は外国人力士が記録を破ることを恐れ、朝青龍を差別して引退させてしまったと報道していました。
A . 率直に言えば、相撲協会の規律・規則は厳しいものですよ。朝青龍にとっては行動、心の動き、相撲の取り口、センスがある人々には受け入れられ、別の人々には好ましくない印象を与えていたのでしょう。私も勝利のために頑張ってきた人間です。間違いも正しいことも両方あったでしょう。
Q. 元横綱はこれからモンゴル相撲を取られますか。
A.(笑)以前はモンゴル相撲を取っていましたよ、私は。相撲を取りたくて仕方ないですが、取らないでしょうね。
Q. 人には自分が目指す目標がある朝青龍「日本の伝統的なスポーツ相撲を世界にアピールするのに私の貢献があると思います」と思います。もし大相撲を続けていたら何回優勝できるとお考えだったでしょうか。
A . 人間はロボットではないですよ。スポーツというものは深遠なもので、人の力は年齢と共に衰えてきます。毎年ほかの力士たちが強くなってきて、私の力が弱くなっていたことを否定する気はありません。それでも、精神力は全く衰えていませんでした。精神の強さというものは肉体の強さの出発点であるだけでなく、勝利の瞬間には最も大切なものです。ですから、私は今後30回を越えて優勝できたのではないかと思っています。
Q. 横綱のように成功できるモンゴル人力士が相撲界にはいるでしょうか。
A. 同じように成功して欲しいと思っています。モンゴル人が良い取り組みをするよう、モンゴルの名を轟かせるよういつも願っています。
Q. 横綱が期待しているモンゴル人力士は誰でしょうか。横綱は相撲界ではにらまれていましたが、他の力士の励みになっていました。残った力士たちに何を伝えてきましたか。
A. 大関日馬富士、D.ビャンバドルジへの期待が大きいです。横綱白鵬は10回以上優勝して自らの地位を確立しました。その一方で、D.ビャンバドルジには良い相撲を取って横綱になって欲しいと願っています。伝えてきたことはあります。日本人全てに不満をもって傷ついているということはありません。日本人の中には私を応援してくれる人がたくさんいます。ですから、相撲界に残った
力士たちに、兄として横綱として良い取り組みをして成功するように伝えてきました。
Q. 横綱は強い力士の家系のご出身ですが、将来お子さんを大相撲に入門させますか。
A. 人の夢を制限するということは良いことではありません。相撲は厳しいスポーツです。また相撲の敷居は高い。それでも、子供が努力すると言うなら、私がそれをやめさせることはできませんよ。
元横綱は、集まった報道陣と兄弟や親しい友人とでも話しているような穏やかな会見となりました。作り笑いや質問から逃げようとするような態度は一切見えませんでした。ある記者は横綱の家に泊まらせて欲しいと許可を取り付け、またある記者はチンギス・ハーンを演じてはどうかとの提案もした。会見中、親方について「私にとって仏様のような先生。私たち子弟は相手の目を見るだけで全てを理解し合うことができていました」と語りました。会見には北京オリンピック金メダリストのN.トゥプシンバヤルとE.バダルオーガン、銀メダリストのP.セルダンバ選手も出席し、元横綱のこれからの幸せを願いエールを送った。
会見当日、朝青龍は第二産婦人科病院を視察し、新生児にプレゼントを贈った。元横綱は生まれたばかりの男の子に自分の名前「ダグワウドルジ」を贈った。
No.2542 - 2010/03/26(Fri) 15:56:28
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