『2月12日、エジプト、ムバラク大統領辞任☆』
2011年3月11日 アニメ・マンガ『2月12日、エジプト、ムバラク大統領辞任☆』
ミカエルです。
今、日本は歴史上最大津波に、襲われています。
が、リビア情報に、埋もれて、
書き忘れていたので、書き残しておきます・・・
今、日本のTV番組は、全局、津波情報・・・。
『毎日新聞ネット版より』
リビア:カダフィ軍の“徴兵”恐れ出国 出稼ぎアフリカ人
リビアからチュニジア国境へ逃げてきたスーダンのダルフール難民、アルサディグ・イスハグさん=チュニジア南部ラサジールで2011年3月8日、藤原章生撮影 【ラサジール(チュニジア南部)藤原章生】「よその国のため、よその人を殺すことなどできない」--。リビアに出稼ぎに来ていた中部、西アフリカの若者は、チュニジアへ逃れた後、そう声をそろえた。騒乱が始まった2月中旬から少なくとも今月7日まで、リビア政府軍は国内に残るアフリカの若者を執拗(しつよう)に、時に暴力的に雇い兵にしようとしていたことが、避難民の証言で明らかになった。
チュニジア国境へ8日午前に逃げてきたスーダンのダルフール難民、アルサディグ・イスハグさん(25)は6日深夜、トリポリのクレミア地区のアパートに政府軍兵士が押しかけ「政府軍に協力してくれ」と迫られた。「自分たちは難民で武器など持ったことはない」と断ると、家中をめちゃくちゃにされ、現金や家電など金目の物を奪われた。
ほぼ同じ時刻にイスハグさんと同じ部族マサティトゥの若者1人が政府軍兵士に連れ去られたという。また、トリポリ東方の町ミスラタにいる兄(27)によると、7日午前0時ごろ同じ部族の15人が、武装した私服の男たちに誘拐され、8日午後になっても行方が分からないという。「私は騒乱の前、警察に滞在許可証が不備だと言われ、1カ月間投獄された。立場の弱い難民ばかりが狙われているとしか思えない」とイスハグさんは言う。
ガーナ出身のサムエル・バリマさん(22)も「騒乱が始まった直後の2月17日、27歳の叔父は友人4人とマディマ地区を歩いていた時、政府軍兵士に入隊を迫られ、断るといきなり撃ち殺された」と言う。また、ナイジェリア出身のグッドラック・オブディマさん(22)も今月5日、トリポリで兵士に「大金をやるから我々に協力してくれ」と言われた。ガーナ人、スティーブン・コビさん(27)、ソマリア難民のアリ・マフムードさん(23)の証言もほぼ同じで、トリポリから来た中部アフリカ出身の避難民にはカダフィ軍の“徴兵”を恐れ出国した人が少なくない。
2月の騒乱当初、「アフリカの雇い兵を見た」という目撃情報が相次いだが、元リビア空軍将校のエルグスビさん(64)は「騒乱の何年も前からカダフィ政権がマリやチャドなどから集めた兵隊」だという。カダフィ軍はそれでは足りず、新たにアフリカ人を雇おうと躍起になっていることが証言からうかがえる。
マフムードさんは「リビアの内乱なんだから自分たちでやればいい。リビア人は自分が死にたくないから、アフリカ人を前線に立たせる。なぜ僕らばかりを雇うのか。色のせいか?」と手首を指でたたき、肌の色を指してみせた。
『再び、毎日新聞JPより』
15日夜に始まった反政府デモの風向きが変わったのは20日だ。東部ベンガジで「稲妻部隊」と呼ばれる治安部隊の一部が武力弾圧を拒否し、カダフィ大佐に忠誠を誓う精鋭部隊と交戦した。ベンガジは同日夜には反政府側の支配下に落ちた。
この日、アラブ連盟のリビア代表が武力弾圧に抗議して辞任した。カダフィ大佐の次男セイフ・アルイスラム氏がテレビ演説で対決姿勢を改めて打ち出した翌21日には、カダフィ大佐の側近であるアブドルジャリル法相も、「過度な暴力」を理由に辞任した。
この日以降、インド、中国、バングラデシュなど世界各国に駐在するリビア大使が続々と辞意を表明。AP通信によると、オジリ駐米大使は「国民を殺害する政府を支持しない」と語り、カダフィ大佐の退陣を要求した。リビアの外交官は武力行使を正当化する政権の代弁者としての役割を拒否し、逆に、国際社会の介入を求めた。
首都トリポリで戦闘機による機銃掃射などが行われ、市民多数が殺害された21日の無差別空爆を受けて、国際社会からのカダフィ政権批判は一気にトーンを高めた。
国連の潘基文(パン・キムン)事務総長は「激怒している。市民への攻撃が事実なら国際人道法の重大な違反であり、最も強い言葉で非難する」と表明。クリントン米国務長官も「国際社会とともにリビアでの暴力を強く非難する。今こそ許されない殺りくを止めるべきだ」と非難した。
旧宗主国で08年にリビアと友好条約を結んだイタリアのベルルスコーニ首相は当初、「状況が明らかでない」と明確な態度表明を避けてきたが、この日の無差別空爆で姿勢を転換。カダフィ大佐と個人的にも親しいという首相だが、「市民への暴力の行使を懸念している」との声明を発表した。
カダフィ政権は03年に大量破壊兵器の放棄を宣言して以降、米欧との融和路線を進めてきた。だが、個人崇拝を強要し、体制に批判的な人物を次々と粛清する恐怖政治の体質は変わらなかった。今回のデモ鎮圧の過程で露呈した強権体質が、自らを窮地に追い込む結果を生んでいる。
「首都トリポリ」で『戦闘機による機銃掃射』などが行われ、
市民多数が殺害された『21日の無差別空爆』を受けて、
国際社会からの『カダフィ政権批判』は一気にトーンを高めた。
ミカエルです。
今、日本は歴史上最大津波に、襲われています。
が、リビア情報に、埋もれて、
書き忘れていたので、書き残しておきます・・・
今、日本のTV番組は、全局、津波情報・・・。
『毎日新聞ネット版より』
リビア:カダフィ軍の“徴兵”恐れ出国 出稼ぎアフリカ人
リビアからチュニジア国境へ逃げてきたスーダンのダルフール難民、アルサディグ・イスハグさん=チュニジア南部ラサジールで2011年3月8日、藤原章生撮影 【ラサジール(チュニジア南部)藤原章生】「よその国のため、よその人を殺すことなどできない」--。リビアに出稼ぎに来ていた中部、西アフリカの若者は、チュニジアへ逃れた後、そう声をそろえた。騒乱が始まった2月中旬から少なくとも今月7日まで、リビア政府軍は国内に残るアフリカの若者を執拗(しつよう)に、時に暴力的に雇い兵にしようとしていたことが、避難民の証言で明らかになった。
チュニジア国境へ8日午前に逃げてきたスーダンのダルフール難民、アルサディグ・イスハグさん(25)は6日深夜、トリポリのクレミア地区のアパートに政府軍兵士が押しかけ「政府軍に協力してくれ」と迫られた。「自分たちは難民で武器など持ったことはない」と断ると、家中をめちゃくちゃにされ、現金や家電など金目の物を奪われた。
ほぼ同じ時刻にイスハグさんと同じ部族マサティトゥの若者1人が政府軍兵士に連れ去られたという。また、トリポリ東方の町ミスラタにいる兄(27)によると、7日午前0時ごろ同じ部族の15人が、武装した私服の男たちに誘拐され、8日午後になっても行方が分からないという。「私は騒乱の前、警察に滞在許可証が不備だと言われ、1カ月間投獄された。立場の弱い難民ばかりが狙われているとしか思えない」とイスハグさんは言う。
ガーナ出身のサムエル・バリマさん(22)も「騒乱が始まった直後の2月17日、27歳の叔父は友人4人とマディマ地区を歩いていた時、政府軍兵士に入隊を迫られ、断るといきなり撃ち殺された」と言う。また、ナイジェリア出身のグッドラック・オブディマさん(22)も今月5日、トリポリで兵士に「大金をやるから我々に協力してくれ」と言われた。ガーナ人、スティーブン・コビさん(27)、ソマリア難民のアリ・マフムードさん(23)の証言もほぼ同じで、トリポリから来た中部アフリカ出身の避難民にはカダフィ軍の“徴兵”を恐れ出国した人が少なくない。
2月の騒乱当初、「アフリカの雇い兵を見た」という目撃情報が相次いだが、元リビア空軍将校のエルグスビさん(64)は「騒乱の何年も前からカダフィ政権がマリやチャドなどから集めた兵隊」だという。カダフィ軍はそれでは足りず、新たにアフリカ人を雇おうと躍起になっていることが証言からうかがえる。
マフムードさんは「リビアの内乱なんだから自分たちでやればいい。リビア人は自分が死にたくないから、アフリカ人を前線に立たせる。なぜ僕らばかりを雇うのか。色のせいか?」と手首を指でたたき、肌の色を指してみせた。
『再び、毎日新聞JPより』
15日夜に始まった反政府デモの風向きが変わったのは20日だ。東部ベンガジで「稲妻部隊」と呼ばれる治安部隊の一部が武力弾圧を拒否し、カダフィ大佐に忠誠を誓う精鋭部隊と交戦した。ベンガジは同日夜には反政府側の支配下に落ちた。
この日、アラブ連盟のリビア代表が武力弾圧に抗議して辞任した。カダフィ大佐の次男セイフ・アルイスラム氏がテレビ演説で対決姿勢を改めて打ち出した翌21日には、カダフィ大佐の側近であるアブドルジャリル法相も、「過度な暴力」を理由に辞任した。
この日以降、インド、中国、バングラデシュなど世界各国に駐在するリビア大使が続々と辞意を表明。AP通信によると、オジリ駐米大使は「国民を殺害する政府を支持しない」と語り、カダフィ大佐の退陣を要求した。リビアの外交官は武力行使を正当化する政権の代弁者としての役割を拒否し、逆に、国際社会の介入を求めた。
首都トリポリで戦闘機による機銃掃射などが行われ、市民多数が殺害された21日の無差別空爆を受けて、国際社会からのカダフィ政権批判は一気にトーンを高めた。
国連の潘基文(パン・キムン)事務総長は「激怒している。市民への攻撃が事実なら国際人道法の重大な違反であり、最も強い言葉で非難する」と表明。クリントン米国務長官も「国際社会とともにリビアでの暴力を強く非難する。今こそ許されない殺りくを止めるべきだ」と非難した。
旧宗主国で08年にリビアと友好条約を結んだイタリアのベルルスコーニ首相は当初、「状況が明らかでない」と明確な態度表明を避けてきたが、この日の無差別空爆で姿勢を転換。カダフィ大佐と個人的にも親しいという首相だが、「市民への暴力の行使を懸念している」との声明を発表した。
カダフィ政権は03年に大量破壊兵器の放棄を宣言して以降、米欧との融和路線を進めてきた。だが、個人崇拝を強要し、体制に批判的な人物を次々と粛清する恐怖政治の体質は変わらなかった。今回のデモ鎮圧の過程で露呈した強権体質が、自らを窮地に追い込む結果を生んでいる。
「首都トリポリ」で『戦闘機による機銃掃射』などが行われ、
市民多数が殺害された『21日の無差別空爆』を受けて、
国際社会からの『カダフィ政権批判』は一気にトーンを高めた。
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