『自らの足で立て』という意見☆
2011年6月4日 アニメ・マンガ[以下、コピペです]
今回の震災で、多くの方はもうご存知だろうが、「義援金」は、日本赤十字社にすべて集められ被災者に分配する。これに対して「支援金」は、この大震災において活動しているボランティア団体・NPO、あるいはそうした団体が必要だと考える人びとに支給される。
全ての人に平等に配分する義捐金は、被害が小規模な災害であれば平等性をしっかり評価した上で、配布することが出来る。災害の被害が小規模な「復旧」であれば、政府が責任を持って義援金を配分し、対処することが出来る。
しかし、今回は被害が甚大な「復興」である。
実は、阪神淡路大震災の時は、「復興」という言葉は使わなかった。
「復興」と「復旧」とは違う。あまりにも甚大な被害が出た場合には、義捐金という制度は今のままでは機能しない。では今回の場合のような被害が甚大な「復興」、つまり「経済復興」の際は、どのように対処するべきであろうか。
国際協力に置き換えてみると、「
復興」においてまずすべきことは、貨幣経済に迅速に復帰してもらうことである。
貨幣が流通しなければ、何も始まらない。
日本の戦後復興もそうであった。
コミュニティや個人の発意で闇市が形成され、貨幣経済が動き始めたことからわかる。
貨幣経済が動き出すためにはcash for workが有効である。
公務員を一時的でもいいから雇う、
瓦礫撤去に対し日当を払うなど、
現地の人に、貨幣を持たせなければならない。
貨幣を持てば、
自分の意志で外に行って、
何かを購入するという行動が生まれる。
義援金は法律に縛られているため、cash for workに対処することはできない。cash forworkができるのは、NGOだけである。もしかしたら、義捐金の一部を支援金に回す仕組みがあれば、行政(市や区)やNGOに予算を丸投げして、cashfor workにお金を回すべきだったかもしれない。
正直にいうと、海外ではもっと過酷な状況がある。災害+戦争とかダブルパンチで受けることはあるし、
そんな過酷な状況でも、
国際社会は「自分の足で立て」と言う。
復興においては、
「連帯」してはいけないのである。
被災者への同情は絶対にしてはならず、
ある程度の距離をとらなければならない。
可哀そうと思って皆ボランティアに行ってしまい、結果的に被災者根性が身に着けさせてしまうと、愚の骨頂である。
おばあちゃんが困っていたら、隣町の若者が助けてあげればいい。大挙してボランティアにいくのではなく、被災者が自らの足で立ち、「自立的復興」を促すような仕掛け作りを考えなければならない。
(米崎義明 charity japan)
今回の震災で、多くの方はもうご存知だろうが、「義援金」は、日本赤十字社にすべて集められ被災者に分配する。これに対して「支援金」は、この大震災において活動しているボランティア団体・NPO、あるいはそうした団体が必要だと考える人びとに支給される。
全ての人に平等に配分する義捐金は、被害が小規模な災害であれば平等性をしっかり評価した上で、配布することが出来る。災害の被害が小規模な「復旧」であれば、政府が責任を持って義援金を配分し、対処することが出来る。
しかし、今回は被害が甚大な「復興」である。
実は、阪神淡路大震災の時は、「復興」という言葉は使わなかった。
「復興」と「復旧」とは違う。あまりにも甚大な被害が出た場合には、義捐金という制度は今のままでは機能しない。では今回の場合のような被害が甚大な「復興」、つまり「経済復興」の際は、どのように対処するべきであろうか。
国際協力に置き換えてみると、「
復興」においてまずすべきことは、貨幣経済に迅速に復帰してもらうことである。
貨幣が流通しなければ、何も始まらない。
日本の戦後復興もそうであった。
コミュニティや個人の発意で闇市が形成され、貨幣経済が動き始めたことからわかる。
貨幣経済が動き出すためにはcash for workが有効である。
公務員を一時的でもいいから雇う、
瓦礫撤去に対し日当を払うなど、
現地の人に、貨幣を持たせなければならない。
貨幣を持てば、
自分の意志で外に行って、
何かを購入するという行動が生まれる。
義援金は法律に縛られているため、cash for workに対処することはできない。cash forworkができるのは、NGOだけである。もしかしたら、義捐金の一部を支援金に回す仕組みがあれば、行政(市や区)やNGOに予算を丸投げして、cashfor workにお金を回すべきだったかもしれない。
正直にいうと、海外ではもっと過酷な状況がある。災害+戦争とかダブルパンチで受けることはあるし、
そんな過酷な状況でも、
国際社会は「自分の足で立て」と言う。
復興においては、
「連帯」してはいけないのである。
被災者への同情は絶対にしてはならず、
ある程度の距離をとらなければならない。
可哀そうと思って皆ボランティアに行ってしまい、結果的に被災者根性が身に着けさせてしまうと、愚の骨頂である。
おばあちゃんが困っていたら、隣町の若者が助けてあげればいい。大挙してボランティアにいくのではなく、被災者が自らの足で立ち、「自立的復興」を促すような仕掛け作りを考えなければならない。
(米崎義明 charity japan)
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