大事な所を抜粋するね☆



OECDが、

各国の「財政債務残高」を、

比較する場合の基準は、

「債務残高」から、

「外貨準備金」や「社会保障基金」(大半が公的年金の積立金)などの

「政府の金融資産額」を差引いたところの

「純債務残高」を用いる。



政府の債務のGDP比率を比較する場合にも、
債務はこの「純債務額」である。

日本の場合特に債務残高ではなく
純債務額を使うべきと言うのは、

日本の「外貨準備金」や「社会保障基金」は

他の先進各国に比べ突出して大きいからである。

つまり日本政府の債務残高は一見大きく見えるが、

「金融資産を差引いた純債務」は決して大きくない。











本誌03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」、03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」で、経済の循環で政府の借金が大きいことの裏側に、日本の過剰貯蓄があることを指摘した。つまり過剰貯蓄がある限り、国の借金が増え続ける仕組になっている。このことを三面等価、つまり生産と分配(所得)そして支出(需要)が等しくなることで説明した。過剰貯蓄があれば、生産物の余剰が発生し、これを誰かが消費しなければ、マクロ経済はバランスせず縮小均衡に陥る。

マクロ経済理論に反して過剰貯蓄がある時に政府支出を削れば、不況になる。またこの不況を避けるなら輸出を増やさざる得ない。しかし輸出が増えれば、一時的に不況は緩和されるが、いずれ円高になり最後には円高不況となる。そして日本の過剰貯蓄の大きな原因が、土地の売却代金の大半が消費されず貯蓄されることと、巨額の社会保障基金積立金(ほとんどが公的年金の積立金)であることを指摘してきた。


さらに国債の発行に替えて、政府貨幣(紙幣)の発行を提案した。政府貨幣発行なら国の借金にならない。また同じ国債の発行でも市中で消化するのではなく、この国債を日銀が購入することを提案した(既に国債の発行額の15%は日銀が保有している)。

日銀が国債を購入すれば、国は日銀に国債の利息を払うが、この利息は最終的に国庫納付金として国に戻ってくる。また国・政府が親会社とすれば、日銀は子会社である。連結決算すれば、子会社(日銀)が持つ親会社(国・政府)に対する債権(保有国債)と親会社(国・政府)の子会社(日銀)に対する債務(発行国債)は相殺される。つまり国債の日銀保有分は政府にとって実質的に借金にならない。このような政府貨幣発行や日銀による国債の購入といったセイニア-リッジ政策も有力な政策である。


また本誌は、そもそも実質的な政府の債務、つまり純債務のGDP比率が、先進諸国と遜色がないことを何度も指摘してきた。ところで齋藤進三極経済研究所代表の中央公論16年11月号に掲載された論文「預金封鎖シナリオの虚実」は、同様の主旨で日本の財政状態を解説している。そこで一昨年の暮、我々は齋藤進三極経済研究所代表を招き研究会を開催した。その様子は04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」で報告した。またこの研究会で、我々事務局は、第一勧銀総合研究所理事の山家悠紀夫(やんべゆきお)氏の『「日本の財政赤字は危機的」は大ウソ』という9年ほど前に月刊文芸春秋に掲載された論文のコピーを出席者に配布した。この論文の主旨も同じである。ちなみに山家氏は、現在、「暮らしと経済研究室」を主宰し、最近、岩波書店の「世界」3月号に「実感なき景気回復」という論文を発表されている。

OECDが各国の財政債務残高を比較する場合の基準は、債務残高から外貨準備金や社会保障基金(大半が公的年金の積立金)などの政府の金融資産額を差引いたところの純債務残高を用いる。政府の債務のGDP比率を比較する場合にも、債務はこの純債務額である。日本の場合特に債務残高ではなく純債務額を使うべきと言うのは、日本の外貨準備金や社会保障基金は他の先進各国に比べ突出して大きいからである。つまり日本政府の債務残高は一見大きく見えるが、金融資産を差引いた純債務は決して大きくない。

さらに最近、菊池英博文京学院大学教授が『増税が日本を破壊する』(ダイヤモンド社)という本を書かれ、この反響が大きい。この菊池教授も我々と同様の算出方法を使って、日本の純債務が決して大きくないことを長年主張してこられ、この新刊も同様の説明が柱になっている。ところが日本の嘘つきども(御用学者である財政学者など)は、国際比較にグロスの債務残高を用い、意識的にネットの債務残高である純債務を使わない。

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