『韓国は、4000年の間、中国の植民地だった☆』










                      ミカエルです





国民に、読み書きを、奪ってた事実をみると、

韓国の王族や、軍部は、アフリカや、中東の王族、軍部に近かった。

国民からの搾取に、あけくれてたらしい。

カダフィや、アフリカの王族のように。

読み書きを、わざと、取り上げてる点で、それより、たちが悪い。








スペインの有力紙『エル・ムンド』(El mundo) は、
「朝鮮は建国時点である紀元前2333年から日清戦争の1895年までの4228年間にわたって中国の植民地だった」と報道した。


『エル・ムンド』は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していたが、1910年の韓国併合までの15年間にわたって独立を味わったりもした」と報じた[2]。


CNNは韓国が元々中国植民地だったと報道し、
ヒストリーチャンネルは平壌を中国植民地だと報道した[2]。


世界中の華僑を対象に、
中国史と中国語を教育する台湾政府の「台湾校務委員会」傘下の中国語ネットワーク教育センターは、

ウェブサイト上で

「歴史的に、韓国は中国の植民地だった」と掲載している[3][4]。

ヒストリーチャンネルはウェブサイトで韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったと紹介し、「韓国は韓国の全ての歴史をひっくるめて中国と日本から強力な影響を受けた国家(Chinese and Japanese influences have been strong throughout Korean history)」だと叙述し、

また「韓国を最初に建国したのは中国の学者箕子で、韓国は中国の植民地から最初の国家が始まった中国の植民地国家だった」と叙述した。

さらには新羅の三国統一が中国の支持を通じてのみ可能だったと強調し、
三国統一の過程における新羅の役割を縮小および削除して、
中国の支援を強調した。

壬辰倭乱は、韓国人の抗争は紹介せずに中国の助けだけで韓国が壬辰倭乱を逃れたと記述しており、また、丙子胡乱以後は中国の植民地になり、外国との接触を絶って「隠遁の王国」に転落したと紹介した。VANKは、これは韓国の全体の歴史が「日本と中国の従属国」だったという歴史観で、東北工程を間接的に支持する資料として誤用され得ると批判している[5]。



Yahoo!シンガポールは
アジア地図で、韓国を中国の領土と表記していた[6]。


2006年にCIAが国家情報報告において、

「韓国は1000年間独立国家だったが、日露戦争により日本が占領した」と紹介した。

これに対してVANKは、「これは西暦1000年以前は独立国家ではなかったという意味で、高句麗と古朝鮮の歴史を古代史から除いている」と批判し、

CIAに抗議書簡を送っている。CIAはこの書簡に対して返事を送らなかったが、「去る数千年間の長年の独立歴史である韓国」と訂正した[7]。


世界銀行、
イギリス公共放送局チャンネル4を含めた外国教育機関、
教科書出版社、
ポータルサイト、
百科事典など34の機関の世界地図で

韓国を中国領として表記している。

例えば世界的なファーストフード会社のバーガーキングは自社のホームページで朝鮮半島を中国領として表記している他、アメリカの有名旅行情報サイトのゲート1トラベルは北朝鮮を中国領として表記している。また、ニュージーランドの茶販売会社ベル・ティー・カンパニーは、自社サイトで韓国を中国領としている[8]。


外国教育機関、百科事典、博物館、図書館などで中国の漢、元、清などの歴史を紹介する世界地図が朝鮮半島全体を中国領と表記している。

例えば、中国の国営放送CCTVのサイトは元の時期の世界地図に朝鮮半島全体を中国の土地として紹介し、

米国のミネアポリス美術館のサイトも元の時代の朝鮮半島を中国の領土と表記している。

また百科事典「グロリア」と歴史サイト「ハウ・ツー・フットワーク」、図書館サイト「アイビブリオ」は清の時代に朝鮮半島を中国の土地と同じ色で塗り、百科事典「ニュー・ワールド・エンサイクロペディア」をはじめとして学術機関「カルチャー・チャイナ」「ピッツバーグ大学」「ミネソタ州立大学」等のサイトは漢江北側を、中国紹介サイト「スーパートレース」と「NEN」などは全羅北道北側地域まで中国領としている[9]。
1日で数百万人がアクセスするアメリカヤフーの旅行情報コーナーに記載された韓国史の紹介部門には、「韓半島最初の国家成立時期は、668年である」と書かれている[4]。
コロンビア大学のオンライン百科事典やアメリカ議会図書館などの海外サイトに紹介された韓国古代史のくだりには、

「古朝鮮も中国の植民地」=「古朝鮮は紀元前12世紀に、中国人、箕子が韓半島北部に建てた国だ。その当時、韓半島南部は日本の大和政権の支配下にあった」と書かれている。これらサイトは、韓国を「強大国に挟まれて門戸を閉ざしていた『隠遁の国』に描き「日清戦争以降、日本の支配を受けながら近代化に成功した」と説明している[4]。
ヤフーチャイナは、古代の韓国領の一部を中国領にしている。ヤフーチャイナの世界地図オンラインサービスで、西漢時代には漢江より北を、唐代には韓半島北部と湖南地方を、元代には漢江より北をそれぞれ中国領と表記している[10]。
世界地図オンラインサービス内の時代別地図には、過去に韓国領だった間道地方が全く表記されていない。有名軍事ポータルサイト鉄血軍事で紹介された世界地図も同様の地図を掲載している[10]。これに対して、VANKのパク・ギテ団長は「これは中国政府が『東北工程全世界戦略』の一環として、多国籍ポータルサイトであるヤフーのグローバルネットワークを活用し、古代韓国が中国の領土だったというわい曲された認識を世界中に植え付けるべく、水面下で作業している証拠だ」と主張している[10]。
ヤフーなど世界のポータルサイトが「平壌は約2000年間、中国の植民地だった」という内容を掲載している[11]。また、ヒストリーチャンネルやブリタニカ百科事典など世界的なインターネットサイトも同様の内容を掲載している[11]。ヒストリーチャンネルは「平壌は紀元前1122年に中国商王朝の子孫によって誕生した都市で、平壌付近には都市の伝説的設立者である中国学者の箕子の墓がある」とし、「紀元前108年に平壌は中国の植民地となり、文化の中心地になった」と説明している[11]。
34の博物館、テレビ局、新聞社、ポータルサイト、百科事典など世界の34の有名機関が発行している53の世界地図が、韓国の全体領土および一部領土を中国の領土として表記している[12]。
歴史関連サイトとしては世界最大で、全世界の教科書出版社などに歴史資料を供給している「ワールド・ヒストリー・ドットコム」は、漢四郡や任那日本府など、韓国が中国・日本の属国だったと叙述している[13]。
外国のウェブサイトには、「韓国は過去、中国の植民地であった」「日本の植民支配で韓国は経済的発展を遂げた」という内容を載せているウェブサイトが多く、韓国の国家的威信を墜落させている[14]。
「韓国は19世紀まで中国の一部だった」という韓国情報が海外サイトに掲載されている。イギリスの世界歴史情報サイトである「spartacus.schoolnet.co.uk」は「韓国は1637年に中国の一部に併合されて、1895年まで独立できなかった」と、韓国を中国の属国と表現し、国際児童救護機構サイトである「sos-childrensvillage.org」は古朝鮮についての紹介なしに「中国の箕子が韓半島に国家を初めて建てた」と説明し、韓国の歴史が中国から始まったかのように記述した[15]。
オンライン百科事典であるエンサイクロペディア、世界最大教育ポータルサイトであるファクトモンスター、インフォプリーズ、レファランス・オールリファー、コロンビア大学オンライン百科事典バートレビなどの教育ポータルサイトは、中国の世界史教科書に載せられた韓国史をそのまま反映し、韓国の高句麗を最初の国家として紹介して高句麗前史が抜け落ち、高句麗及び三国時代の設立時間なども過って載せ、韓国史の初めの部分に「韓国は全歴史を通じて中国と日本から強い影響を受けた」「韓国は中国の植民地国家」と紹介した[16]。
ヘレン・ミアーズは、アメリカの鏡・日本で、「日本は韓国の独立という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。(中略)日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは 中国朝廷に朝貢し、外交政策は中国に指導を仰いでいた」と述べている。
米国のジョンズ・ホプキンス大学で開催された中国の文化公演で、韓国民謡のアリランや伝統衣装韓服が、中国の少数民族の文化として紹介された。公演を見学した韓国人留学生らは「韓国は中国の属国ではない」と反発している。公演では中国王朝時代の伝統衣装をはじめ、さまざまな少数民族の文化が紹介されたが、その中で韓国の伝統服韓服を身につけた女性も登場し、韓国の伝統楽器であるカヤグムを弾き、バックミュージックには韓国民謡のアリランが流れた。公演の冊子には、中国の少数民族とともに韓服やハングル文字の写真も印刷され、「朝鮮民族の文化は、中国少数民族の文化として中国政府の保護を受けている。中国政府により中国内の少数民族は発展している」と記されていた[17]。
2004年7月1日に蘇州で開催された世界遺産委員会において、高句麗前期の都城と古墳が世界遺産に登録されたが、翌日の新華社通信において、「高句麗は歴代中国王朝と隷属の関係にあり、中原王朝の管轄にあった地方政権」と報道されている。中国国内の高句麗の遺跡には、「高句麗人は決して朝鮮人ではない」「高句麗は中国古代国家の殷に起源を持つ漢民族が建設した国家」と書かれた案内板が立っているという[18]。中国吉林省集安市博物館の案内縦看板の説明文は、「高句麗は中国古代に存在した北東地方の少数民族政権のひとつ」と書いてあり[19]、案内員は高句麗の遺物を説明する際、中国文化への隷属性を強調し、「当時中原で使われた硬貨がここで発掘されました。高句麗が中国の一部であった証拠です」と説明している[19]。別の案内員は、『三国志』の「高句麗にその名簿を主管させた」という文章を「高句麗が漢を主人として仕える」と説明している[19]。また、孫泓東アジア研究中心研究員は、「高句麗は中原王朝の地方政権」「高句麗は大部分の歴史において一貫して中原に帰属してていた」と述べている[20]。さらに、オーストラリアの中国大使館はホームページで、「高句麗は中国歴代王朝と従属関係を維持し、中原王朝の制約と管轄を受けていた地方政権」と掲載している[21][22]。なお、高句麗の帰属に関してYouTubeでは、韓国人が満州族の高句麗の歴史を盗作しているとする動画が出回っている[23][24]。「Korean are stealing Manchu’s Koguri history(韓国人が満州族の高句麗の歴史を盗んでいる)」という動画は、「現代の韓国人は高句麗と血縁的関連が弱くて、高句麗の血統を受け継いだのは満州族」として「歴史泥棒もうやめろ」とし[23]、「韓国人は、過去の高句麗の血統を受け継ぎ非常に長い時間満州を支配したと言って歴史の盗難をしようとしている」としている[24]。中国のネチズンからは、「古代高句丽民族和现代韩国人根本就不是一个民族,属于古扶余人,应该是东胡的一部分(古代高句麗人と現代の韓国人は全く違う民族。高句麗は古扶余人で東胡の一部分だろ)」という意見もある[25]。黄文雄は著書で、「満州族の先祖が築いた高句麗と渤海」との見出しで、「高句麗の主要民族は満州族の一種(中略)高句麗人と共に渤海建国の民族である靺鞨はツングース系で、現在の中国の少数民族の一つ、満州族の祖先である」と高句麗と渤海を満州族の先祖としている[26]。また、黄は「ひるがえって、満州史の立場から見れば、3世紀から10世紀にかけて東満州から沿海州、朝鮮半島北部に建てられた独自の国家が高句麗(?~668年)と、その高句麗を再興した渤海(698~926年)である」とし、高句麗と渤海を満州史としている[26]。また南出喜久治も、「高句麗は、建国の始祖である朱蒙がツングース系(満州族)であり、韓民族を被支配者とした満州族による征服王朝であって、韓民族の民族国家ではない」と述べている[27]。






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