「『吉田清治』この人が書いた商業小説が、ねつ造話の発端です。」
2012年7月13日 アニメ・マンガ「『吉田清治』この人が書いた商業小説が、ねつ造話の発端です。」
許栄善(済州新聞記者) -
「日帝「済州島で慰安婦205名徴発」、
住民達は「ねつ造」、
日本の恥知らずの商魂に憤慨」という記事を執筆。
尹貞玉
金奉玉(済州島の郷土史家)
− 吉田が証言した済州島内の施設がいずれもまったく根拠のないことを
実地調査で明らかにした
ミカエルです
コピペしてきました。
これを、米国の新聞社、ジャーナリストに、理解してもらわなくては、
同じ事の繰り返しだ。
日本人全員が、同じ情報を、共有しなくては・・・。
がしかし、吉田が、朝日新聞に、記事、いえ、小説を書いたとしても、
朝日新聞に、謝罪を、求めるのは、ムツカシイ気がする・・・。
スタッフも、入れ替わってる。
以下、コピペ
吉田清治 (文筆家)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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この項目では、文筆家について記述しています。実業家については「吉田清治 (実業家)」をご覧ください。
吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 - )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。
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1 概説
2 主な著作
3 吉田証言の実地調査を行なった人物
4 脚注
5 関連項目
概説 [編集]終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。
1977年(昭和52年)に、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。1982年(昭和57年)には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言。1983年(昭和58年)に、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を上梓した。その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは吉田のみであった為、当時、吉田は「勇気ある唯一人の告白者」とされていた。
1989年(平成元年)8月14日、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が取材結果をもとに「『私の戦争犯罪』は捏造」と報じた[1]。1992年3月には秦郁彦が、吉田の「慰安婦狩りを行った」という証言について済州島で現地調査を行ったがまったく裏付けは取れなかった。 当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」との証言をした。 同書は韓国語訳され現地の『済州新聞』で住民の証言をもとに論評がなされているが、「あり得ないこと」「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と一蹴されている。 秦は、同記事の執筆者である許栄善と面談の折、許から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに窮したという(秦は『正論』に調査結果を公表[2]、『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し、菊池寛賞を受賞した)。
また、上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに吉田と面談した結果、「吉田の証言を嘘と断定することはできないが、「時と場所」という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない」としている[3]。
1996年(平成8年)5月29日付の
「週刊新潮」インタビューで、
吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。
事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、
新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認めた。しかし、現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、2007年現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった[1]。
1998年(平成10年)に、吉田は秦との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁を告白した[4]。秦はその後の調査結果をまとめ、公刊した[5]。
主な著作 [編集]『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』 新人物往来社 1977年3月
『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』 三一書房 1983年7月
吉田証言の実地調査を行なった人物 [編集]秦郁彦
許栄善(済州新聞記者) - 「日帝「済州島で慰安婦205名徴発」、住民達は「ねつ造」、日本の恥知らずの商魂に憤慨」という記事を執筆。
尹貞玉
金奉玉(済州島の郷土史家) − 吉田が証言した済州島内の施設がいずれもまったく根拠のないことを実地調査で明らかにした。
脚注 [編集]^ a b 「アメリカ人にもわかる『従軍慰安婦問題』の基礎知識」、『SAPIO』、小学館、2007年5月9日、 p.18。
^ 産経新聞(92/4/30),「正論」92年6月号
^ 「慰安婦」は商行為か?---「慰安婦」問題の真実--- 上杉聰 1996年
^ 『諸君!』1998年11月号 秦郁彦「『空想虚言症』の記憶にさいなまれる『朝日新聞』」
^ 『慰安婦と戦場の性』 新潮選書 1999 ISBN 4-10-600565-4
関連項目 [編集]「http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=吉田清治_(文筆家)&oldid=43232630」から取得
カテゴリ:大日本帝国陸軍軍人日本共産党の人物慰安婦問題の人物日本の地方議会議員選挙の立候補経験者山口県出身の人物1913年生
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『北朝鮮の工作員だった疑いが、もたれている吉田誠一、41歳』産経新聞
この昨日の記事で、思い出したのでした。
許栄善(済州新聞記者) -
「日帝「済州島で慰安婦205名徴発」、
住民達は「ねつ造」、
日本の恥知らずの商魂に憤慨」という記事を執筆。
尹貞玉
金奉玉(済州島の郷土史家)
− 吉田が証言した済州島内の施設がいずれもまったく根拠のないことを
実地調査で明らかにした
ミカエルです
コピペしてきました。
これを、米国の新聞社、ジャーナリストに、理解してもらわなくては、
同じ事の繰り返しだ。
日本人全員が、同じ情報を、共有しなくては・・・。
がしかし、吉田が、朝日新聞に、記事、いえ、小説を書いたとしても、
朝日新聞に、謝罪を、求めるのは、ムツカシイ気がする・・・。
スタッフも、入れ替わってる。
以下、コピペ
吉田清治 (文筆家)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 - )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。
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1 概説
2 主な著作
3 吉田証言の実地調査を行なった人物
4 脚注
5 関連項目
概説 [編集]終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。
1977年(昭和52年)に、『朝鮮人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたなどと証言。1982年(昭和57年)には第一次樺太朝鮮人裁判で朝鮮人の奴隷狩りを証言。1983年(昭和58年)に、いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった『私の戦争犯罪』を上梓した。その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行ったのは吉田のみであった為、当時、吉田は「勇気ある唯一人の告白者」とされていた。
1989年(平成元年)8月14日、韓国済州島の地元紙『済州新聞』が取材結果をもとに「『私の戦争犯罪』は捏造」と報じた[1]。1992年3月には秦郁彦が、吉田の「慰安婦狩りを行った」という証言について済州島で現地調査を行ったがまったく裏付けは取れなかった。 当時を知る島民は「この島で人間狩りが起こったら大騒ぎになって誰でも知っているはずだが、そんな話は聞いたことすらない」との証言をした。 同書は韓国語訳され現地の『済州新聞』で住民の証言をもとに論評がなされているが、「あり得ないこと」「(このような作り話の本は)道徳性の欠如した本で、軽薄な金儲け主義的」と一蹴されている。 秦は、同記事の執筆者である許栄善と面談の折、許から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ答えに窮したという(秦は『正論』に調査結果を公表[2]、『昭和史の謎を追う』(文藝春秋1993年3月)に掲載し、菊池寛賞を受賞した)。
また、上杉聰は吉見義明・中央大学教授とともに吉田と面談した結果、「吉田の証言を嘘と断定することはできないが、「時と場所」という歴史にとってもっとも重要な要素が欠落したものとして、歴史証言としては採用できない」としている[3]。
1996年(平成8年)5月29日付の
「週刊新潮」インタビューで、
吉田は「本に真実を書いても何の利益もない。
事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、
新聞だってやるじゃないか」と『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』中の記述において、「人間狩りを行なった場所がどこであるかについては創作を交えた」と認めた。しかし、現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、2007年現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることは、ほぼなくなった[1]。
1998年(平成10年)に、吉田は秦との電話会見に応じ「人権屋に利用された私が悪かった」と反省の弁を告白した[4]。秦はその後の調査結果をまとめ、公刊した[5]。
主な著作 [編集]『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』 新人物往来社 1977年3月
『私の戦争犯罪 -- 朝鮮人強制連行』 三一書房 1983年7月
吉田証言の実地調査を行なった人物 [編集]秦郁彦
許栄善(済州新聞記者) - 「日帝「済州島で慰安婦205名徴発」、住民達は「ねつ造」、日本の恥知らずの商魂に憤慨」という記事を執筆。
尹貞玉
金奉玉(済州島の郷土史家) − 吉田が証言した済州島内の施設がいずれもまったく根拠のないことを実地調査で明らかにした。
脚注 [編集]^ a b 「アメリカ人にもわかる『従軍慰安婦問題』の基礎知識」、『SAPIO』、小学館、2007年5月9日、 p.18。
^ 産経新聞(92/4/30),「正論」92年6月号
^ 「慰安婦」は商行為か?---「慰安婦」問題の真実--- 上杉聰 1996年
^ 『諸君!』1998年11月号 秦郁彦「『空想虚言症』の記憶にさいなまれる『朝日新聞』」
^ 『慰安婦と戦場の性』 新潮選書 1999 ISBN 4-10-600565-4
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『北朝鮮の工作員だった疑いが、もたれている吉田誠一、41歳』産経新聞
この昨日の記事で、思い出したのでした。
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