『中国共産党によるモンゴル人ジェノサイド実録』静岡大学
2012年10月3日 アニメ・マンガ『中国共産党によるモンゴル人ジェノサイド実録』
静岡大学人文学部
ミカエルです
たくさんのモンゴル力士が来るが、今も、真実を語れないのだ・・・。
以下、コピペ
モンゴル人を迫害するのに、わざわざ隣の陜西省から漢人たちを動員してきた。盲流と呼ばれ
て、目的もなく各地を放浪していた漢人のフェルト職人が「内モンゴル人民革命党員をえぐり出
す積極分子」として登用された。
人民解放軍の兵士たちはモンゴル人を迫害するのに五〇種以上の刑罰を用いた。具体的には以
下のような残虐行為が横行していた。
一、 棍棒を燃やして真赤にしてから女性の陰部や腹部を焼いた。被害にあった女性は陰部が破壊
されて男性か女性かの区別もつかなくなった。腹部が破られてなかの腸も見えるように大き
な怪我を負わせた。
二、 牛皮で作った鞭の先に鉄線を付けて人を殴る。打たれる度に皮膚が破れ、血が噴き出るが、
少しも治療をさせない。そのように打たれた人は結局放置されて亡くなった。打たれて壁中
に散った血の匂いは長く消えなかった。また、怪我した人間の傷口に塩を撒いたり、熱湯を
かけたりして、殺害した事例もある。
三、 太い鉄線で人間の頭部を巻いて、ペンチで徐々にきつくしていき、頭部を破裂させた事例も
ある。
四、 「反革命的な犯人」とされるモンゴル人を燃えるストーブのすぐ傍に押さえて、長時間にわ
たって焼いた。真赤に焼いた鉄のショベルを人間の頭の上において焼き殺した実例がある。
五、 両手を後ろ手に縛ってから梁の上から吊るして脱臼させた。また、吊るし上げた紐をナイフ
で切って、地面に叩き落されて死亡させた例がある。
六、 モンゴル人女性を丸裸にして立たせ、牛の毛で作った太い縄を跨がせてから両側から繰り返
し引っ張りあった。その結果、女性の陰部はひどく破壊された。
27ペ-ジ
七、 人民解放軍の兵士たちはモンゴル人の男を殺害して、その妻を繰り返しレイプした。モンゴ
ル人少女を強姦した事例もある。
八、 モンゴル人の財産を略奪した。ある漢人兵士はモンゴル人の貴重な腕時計を奪った。モンゴル人が盟政府所在地の東勝まで追いかけてゆき、返すようにと求めたが、まったく無視され
た。
もちろん、この連隊に良心的な兵士もいた。
そのうちの二人はモンゴル人たちが迫害されてい
るのに疑問を示したことで、ただちに除隊の処分を受けた。
以上は中国共産党政府がその発行を一時的に認めていた資料に掲載された報告である。
この他の実例を見てみよう。
二.二 残虐行為
イケ・ジョー盟エジン・ホロー旗のソブルハン公社の書記バータイは舌を切られた。
東勝県の副武装部長の陳福廷は四七種の刑罰を受け、一六回も刀で刺された。
既に触れたウーシン旗トゥク公社の事例だが、トゥク公社トゥグルダイ生産大隊の漢人陳文奎、馬
藍芳夫妻はモンゴル人たちを自宅へ連れてきて連日昼夜にわたって拷問にかけた。この漢人夫婦は五〇種以上ものリンチ法を考え出していた。
漢人夫婦が直接殺したモンゴル人は三人で、その外にも三〇
数名に重傷を負わせている。
漢人たちはまたウーシン旗トゥク公社トゥグルダイ生産大隊の大隊長のバトセレン夫婦に暴力を加え、夫人のお腹の中にいる胎児も「内モンゴル人民革命党員だ」と認めるよう強制した。
トゥク公社メイリン・スメ大隊の書記ダンセンは、口の中に馬のハミを付けられた上、漢人たちに・・・
中国人のみなさん、なんで、こんな残虐で、凶暴な軍部を野放しにする共産党を支持するのですか?
独裁させるなら、もっと立派な事をするべきじゃないですか?
こんな中国共産党に、残虐行為を批判する資格がありますか?
『中国有名教育家 「日本は南京を開放したのだ。日本軍は友軍だった!これが真実である」 中国中が騒然』
「日本は南京を解放」…教育家のつぶやきに猛反発=中国
民間の教育機関、信孚教育集団を設立した信力建氏が6月24日、中国版ツイッターと呼ばれる「微博」で1937年12月の日本軍による南京占領を「解放」と表現したことで、中国各地から猛烈な批判が続いた。
南京大屠殺遭難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)の朱成山館長は「この種の言論は大きな間違いであり、その歴史観には人を震え上がらせる」として、公開での謝罪を求めた。中国新聞社が報じた。
信力建氏は評論家としても活動しており、広東省広州市白雲区の政治協商会議委員でもある。
政治協商会議は、政府や共産党に政策上の提言を行う機関だ。
信力建氏は、当時の満州国軍が南京攻略戦に加わったことを「英雄的で勇敢な軍隊が、友軍とともに南京を解放した」と表現した。「友軍」が日本軍を指すことは明らかだ。
『中国人よ、あの残虐な行為に及んだ軍人達を、処分したまえ☆』
誰よりも、誰よりも残虐行為を、憎んでいたはずじゃないか!
静岡大学人文学部
ミカエルです
たくさんのモンゴル力士が来るが、今も、真実を語れないのだ・・・。
以下、コピペ
モンゴル人を迫害するのに、わざわざ隣の陜西省から漢人たちを動員してきた。盲流と呼ばれ
て、目的もなく各地を放浪していた漢人のフェルト職人が「内モンゴル人民革命党員をえぐり出
す積極分子」として登用された。
人民解放軍の兵士たちはモンゴル人を迫害するのに五〇種以上の刑罰を用いた。具体的には以
下のような残虐行為が横行していた。
一、 棍棒を燃やして真赤にしてから女性の陰部や腹部を焼いた。被害にあった女性は陰部が破壊
されて男性か女性かの区別もつかなくなった。腹部が破られてなかの腸も見えるように大き
な怪我を負わせた。
二、 牛皮で作った鞭の先に鉄線を付けて人を殴る。打たれる度に皮膚が破れ、血が噴き出るが、
少しも治療をさせない。そのように打たれた人は結局放置されて亡くなった。打たれて壁中
に散った血の匂いは長く消えなかった。また、怪我した人間の傷口に塩を撒いたり、熱湯を
かけたりして、殺害した事例もある。
三、 太い鉄線で人間の頭部を巻いて、ペンチで徐々にきつくしていき、頭部を破裂させた事例も
ある。
四、 「反革命的な犯人」とされるモンゴル人を燃えるストーブのすぐ傍に押さえて、長時間にわ
たって焼いた。真赤に焼いた鉄のショベルを人間の頭の上において焼き殺した実例がある。
五、 両手を後ろ手に縛ってから梁の上から吊るして脱臼させた。また、吊るし上げた紐をナイフ
で切って、地面に叩き落されて死亡させた例がある。
六、 モンゴル人女性を丸裸にして立たせ、牛の毛で作った太い縄を跨がせてから両側から繰り返
し引っ張りあった。その結果、女性の陰部はひどく破壊された。
27ペ-ジ
七、 人民解放軍の兵士たちはモンゴル人の男を殺害して、その妻を繰り返しレイプした。モンゴ
ル人少女を強姦した事例もある。
八、 モンゴル人の財産を略奪した。ある漢人兵士はモンゴル人の貴重な腕時計を奪った。モンゴル人が盟政府所在地の東勝まで追いかけてゆき、返すようにと求めたが、まったく無視され
た。
もちろん、この連隊に良心的な兵士もいた。
そのうちの二人はモンゴル人たちが迫害されてい
るのに疑問を示したことで、ただちに除隊の処分を受けた。
以上は中国共産党政府がその発行を一時的に認めていた資料に掲載された報告である。
この他の実例を見てみよう。
二.二 残虐行為
イケ・ジョー盟エジン・ホロー旗のソブルハン公社の書記バータイは舌を切られた。
東勝県の副武装部長の陳福廷は四七種の刑罰を受け、一六回も刀で刺された。
既に触れたウーシン旗トゥク公社の事例だが、トゥク公社トゥグルダイ生産大隊の漢人陳文奎、馬
藍芳夫妻はモンゴル人たちを自宅へ連れてきて連日昼夜にわたって拷問にかけた。この漢人夫婦は五〇種以上ものリンチ法を考え出していた。
漢人夫婦が直接殺したモンゴル人は三人で、その外にも三〇
数名に重傷を負わせている。
漢人たちはまたウーシン旗トゥク公社トゥグルダイ生産大隊の大隊長のバトセレン夫婦に暴力を加え、夫人のお腹の中にいる胎児も「内モンゴル人民革命党員だ」と認めるよう強制した。
トゥク公社メイリン・スメ大隊の書記ダンセンは、口の中に馬のハミを付けられた上、漢人たちに・・・
中国人のみなさん、なんで、こんな残虐で、凶暴な軍部を野放しにする共産党を支持するのですか?
独裁させるなら、もっと立派な事をするべきじゃないですか?
こんな中国共産党に、残虐行為を批判する資格がありますか?
『中国有名教育家 「日本は南京を開放したのだ。日本軍は友軍だった!これが真実である」 中国中が騒然』
「日本は南京を解放」…教育家のつぶやきに猛反発=中国
民間の教育機関、信孚教育集団を設立した信力建氏が6月24日、中国版ツイッターと呼ばれる「微博」で1937年12月の日本軍による南京占領を「解放」と表現したことで、中国各地から猛烈な批判が続いた。
南京大屠殺遭難同胞紀念館(南京大虐殺記念館)の朱成山館長は「この種の言論は大きな間違いであり、その歴史観には人を震え上がらせる」として、公開での謝罪を求めた。中国新聞社が報じた。
信力建氏は評論家としても活動しており、広東省広州市白雲区の政治協商会議委員でもある。
政治協商会議は、政府や共産党に政策上の提言を行う機関だ。
信力建氏は、当時の満州国軍が南京攻略戦に加わったことを「英雄的で勇敢な軍隊が、友軍とともに南京を解放した」と表現した。「友軍」が日本軍を指すことは明らかだ。
『中国人よ、あの残虐な行為に及んだ軍人達を、処分したまえ☆』
誰よりも、誰よりも残虐行為を、憎んでいたはずじゃないか!
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