『去年、反日デモを扇動した人間は、すべて逮捕されました。日本の領海を侵す民間人は、中国当局で、逮捕される危険性があります☆』
ミカエルです
愛国無罪は、全くの嘘となりつつあります・・・・。
昨年の反日デモの扇動者、中心人物は、逮捕されました・・・・。
『中国共産党の海軍様、日本の領海で、船の上で碁を楽しむの、やめて下さい』
ミカエルです
碁なら、家で、できるでしょう?
それから、去年、反日を、扇動した人間は、すべて、逮捕されました・・・。
民間人で、領海内に、入った場合、反日先導者として、
中国に逮捕される可能性があります。
『国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(上)』
とっても素晴らしいインタビューをみつけたので、コピペしてきました。
国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(上)
ふるまいよしこ | フリーランスライター
2013年9月28日 2時4分
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画像
(この記事はメディア・アクティビスト、津田大介さんのメルマガ『メディアの現場』に連載している「中国ジャーナリズム、ネットと歩む未来」第14回で掲載したものです)
中国ジャーナリズムと海外の国々の間にはこれまでに見てきたように、われわれ日本人があまり知らない関係が複雑に存在しています。もちろん、それは中国という国の特殊性がすべての出発点なわけですが、今回はその特殊性に翻弄され、それを一番よく知る人物に海を越えてお話をうかがいました。
長平氏――中国のジャーナリストの間では彼の身に起こった数々の事件によって伝説的ともいえる存在になっている人物です。
その「伝説」を紹介すると、最初の「大事件」は2001年。彼が『南方週末』紙のニュース責任者を務めていたときでした。同紙が掲載したある記事がもとで、政府からの指示を受けて彼はニュース責任者を解任されました。同じ「南方グループ」の雑誌に異動しましたが、本名の「張平」を使うことを禁じられたためにこのときから「長平」のペンネームで執筆活動をするようになりました。
次の大事件は、2008年3月にチベットで起こった騒乱 をきっかけに、チベット独立が世界的に注目される話題になり、内外で大論争が起こったときのこと。チベットの独立を支援する海外の声に対して、中国国内で「チベットは中国の固有の領土」と激しい叫び声があがるなか、彼はそのコラムで中国政府主導のナショナリズムの高揚を批判し、「政府による評価ではなく、自由なメディアの報道を通じてチベットの真実を明らかにすべきだ」と主張したのです。このコラムには批判が殺到し、政府系メディアによる執拗な攻撃のあと、彼は当時勤めていた雑誌『南都週刊』の副編集長の職を離れました。
その後は、南方グループの別の部門である南方メディア研究所に研究員として所属。執筆活動は続いていたのですが、2010年頃から記事掲載への締め付けが始まり、2011年初めに突然彼が南方グループに解雇されたというニュースが流れてメディア界は騒然となりました。南方グループの記者や編集者たちから慰留を求める嘆願署名活動まで起こりましたが、解雇命令は撤回されず、彼が長年勤めた南方グループを去ったことを「中国メディアは氷河期に入った」と形容するジャーナリストもいました。
その後、彼は香港に脱出。そこでま ったく新しい雑誌『陽光時務』の設立に加わり、編集長に就任します。この、映像・写真・文章などを組み合わせた全く新しいマルチメディア電子雑誌は表紙が幾面もあったり、触ると画面が動いたりと、シリアスな記事とは違った、遊び心いっぱいのつくりにあふれていました(みなさんにもその「誌面」を体験していただきたく、当時の担当者に体験版のウェブサイトなどないだろうかと問い合わせてみたのですが、当時の購読者の手元以外にサンプルは残っていない、ということでした。残念です)。
しかし、一難去ってまた一難。長平氏の香港での労働許可(ビザ)申請に対して、香港の入境管理局は「違法労働の疑いがある」と審査を中断。中国で身の危険を感じていた長平氏はそのままビザ保証人となった機関のあるドイツに引っ越し、その後約2年間、ドイツにある同氏の書斎と香港にある編集部をネットで結んで『陽光時務』の編集作業が続けられました。香港当局のビザ審査中断は「中国の圧力ではないか」という報道も出ましたが、今のところ真相は闇の中にあります。
その間、中国当局による報道規制を受けない『陽光時務』は、中国国内で次々と発生した大事件に対して独自の調査報道を展開し、じわじわと注目されるようになります。ですが、一方でますます中国政府による囲い込み――電子版ダウンロードサイトのアクセスブロックなどが続き、読者獲得に苦戦を強いられました。その後編集部内部の変動を経て、2年目からは紙版雑誌も発行するようになりましたが、今年3月に長平氏が編集長を辞任、5月には休刊宣言をしてしまいました。
20年以上も中国で指折りのメディア『南方週末』やその母体の南方メディアグループでジャーナリストとして働き、自分の理念に基づいた冷静な意見を発表し続け、いまだに中国国内のジャーナリストたちが当局の目を盗んでは引用する長平氏のコラム。そんな気骨あるジャーナリストは今、ドイツにいながら中国のジャーナリズム界をどう見て、どんな関わり方をしているのかを、フランクフルトへの国際電話で尋ねてみました。
◇長平氏インタビュー~国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~
――あなたは香港で2011年8月に雑誌『陽光時務』を立ち上げ、編集長に就任されましたが、同誌創刊の目的は何だったのでしょう?
長平(以下、「長」):当時、中国、香港、台湾の三地域には、中国国内で起こっていることに対して深い報道をするメディアがなかった。中国が関わる国際的な出来事、あるいは香港や台湾における出来事に対する深い分析や報道も存在していなかったんです。
中国国内には『南方週末』『南方都市報』『新京報』、そして上海の『東方早報』といった優秀なメディアがあり、それぞれに深みのある報道をしています。ですが、厳しい制約を受けており、政府の宣伝部が「これを報道するな」「あれもダメだ」という通知を一本出すだけでとても大きな影響を受けます。だから『南方週末』のように、深層報道に関心をもち、またそれを成し遂げる能力のあるメディアですら、取り上げられない話題が多くある。
一方、香港、台湾における中国関連の報道は中国より自由です。でも、メディア自体の関心があまりそこに向いていないために基本的に深みのある調査報道がありません。ほとんどが、中国の日常的な情報の報道にとどまっている。しかし、中国事情はますます重要になってきている。世界の四分の一の人口を占め、そのために世界的にも資源や領土の面で、中国事情は必然的に香港、台湾、そして日本をも含むアジア周辺諸国に、さらには世界全体に影響を与えるのは明らかです。
残念ながら、この点が国際社会ではまだきちんと認識されていない。実際に「地球村」的意識を持ったメディアは存在しておらず、国連という存在もありますがその本当の役割を果たせていない。多くの人たちが中国で起こっていることを「中国のこと」と考え、また中国政府もたびたび「これはわれわれの内政問題だ」と主張している。
でも現実においては、中国が今世界を変えているのです。ビジネス・ルールや政治的な原則などを変えてきている。中国は早くから――いやこれまでもずっと世界の一部だったということをメディアは十分に認識していない。『陽光時務』はそこを補填しようとしたわけです。もちろん、メディア報道を通じて言論の限界を広げ、そこから中国の民主的な進歩を推進したいという目的もありました。
◇マルチメディア『陽光時務』の誕生
――そうして誕生した『陽光時務』は、最初はマルチメディア雑誌のかたちをとっていて、中国国内の読者たちにものすごく歓迎されました。でも、当時香港では影響力をもてなかったようですが?
長:うーん、「影響力」をどう考えるか、ということではないでしょうか。あの頃、ぼくらのマーケティングが理想的ではなかったのはたしかです。理由の一つとして、中国では厳しい封鎖を受けました。香港市場においては、電子雑誌という形態は期待したほど受け入れられなかった。でも、ほかの手段――ウェブサイトやFacebookなどを通じて読者に届けるよう努力した結果、創刊から半年で「アジア出版業協会」(注1) の大賞を4つ受賞しました。それもまた、ぼくたちの影響力が注目され、肯定的に評価されたことの証明だと思います。
(注1)アジア出版業教会:出版業界のプロモート、現地と海外メディアのアジアでの協力、また出版業界関係者間のコミュニケーションをはかることを目的に、香港で設立された。ちなみに、『陽光時務』は今年6月に行われた、今年度の授賞式でも8部門にノミネートされ、「人権報道」「ニュース評論」「政治漫画」「メディアニュース」など7部門で受賞している。
The Society of Publishers in Asia:http://www.sopasia.com/
――たしかにメディア関係者の間においては、あなたがたの報道に注目が集まっていたと思います。でも、香港の一般環境においての影響力はそれほどなかったことが「香港メディア」として残念だな、と。一方で、制約された状態におかれている中国国内の人たちの情報取得の積極性は、香港人よりも大きかったということでしょうね。
長:「読む」習慣の違いもあると思います。香港、台湾のメディアはゴシップに流れるところがあって、実際に政治報道でもゴシップっぽい書き方をする傾向があります。『陽光時務』はシリアスな時事政治関係雑誌なので、そのために(香港の)一般読者に「重苦しい」と思われたのかもしれません。
ローカル市場の傾向は、人々の「読む」習慣の形成にある程度影響を与えます。新聞を手にすれば1本のニュースを2分間で読めるという人には、雑誌を手にとって10分、あるいは2時間もかけて読むなんて耐えられないでしょう。
でも、中国国内のメディア――たとえば『南方週末』などは、かつては100万部あまりの発行部数を誇ったこともあるほどの人気紙なわけですが、それなりに長い報道や評論が中心なんです。欧米メディアの『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』などの朝刊紙でも深層報道の記事はとても長いし、理論分析もしっかりしています。読者がそれに慣れ親しんでいるということですね。
――そんな『陽光時務』が実際に香港人読者で注目されたのは、やっぱり「劉夢熊インタビュー」(注2)の号ですか?
(注2)劉夢熊インタビュー:2013年1月24日号掲載。劉夢熊とは、中国中央政府が任命する全国協商会議委員を務める、中央政府寄りの香港人政治関係者。2012年に第四代香港特別行政区の長官に就任した梁振英氏の支持者と見られていたが、同インタビューで梁を「嘘つき」と呼んで「香港市民を騙している」と指摘し、香港中が大騒ぎになった。
長:そうですね。それまでにも香港人読者の間で注目された記事はありました。たとえば、李旺陽(注3)や艾未未(注4)の記事とか。まぁ、これはもともと香港メディアが注目していた話題でもあったことが前提になるわけですが。あと、チベット人の焼身自殺事件(注5)の悲劇には世界中のメディアが驚きながらも、その注目の仕方は不十分だった。報道の自由をもっている海外メディアですらより突っ込んだ報道が見られなかったんです。ぼくらはそこに王力雄氏(注6)を迎えて、深い分析と新たな事実の紹介をしました。あの号はたしか、「劉夢熊インタビュー」に次ぐ売上げになったはずです。
(注3)李旺陽:湖南省の民主活動家。1989年の天安門事件に連座し、22年間を獄中で過ごして2011年5月に刑期満了で出獄。香港ケーブルテレビの天安門事件回顧番組で受けたインタビューが天安門事件24周年の2012年6月4日に放送され、その2日後に軟禁されていた病院で不審死。現地の公安関係者の関与が疑われている。
(注4)艾未未:中国人アーティスト。北京オリンピックのメインスタジアム設計チームのメンバーだが、2008年5月に起きた四川大地震被災者への中国政府の情報隠しを批判し、オリンピック開会式への出席を拒絶。その後激しい政府批判をアートやネットを通じて繰り返している。2011年4月に脱税容疑で拘束され、90日後に釈放されるが、その後も厳しい監視生活を余儀なくされている。
(注5)チベット人の焼身自殺事件:帰属問題がくすぶり続けている中国政府統治下のチベット人居住地区で、2009年から路上など公衆の面前でチベット人の焼身自殺による抗議事件が続発。彼らが厚く信奉するチベット仏教では自殺を戒めており、それをも超えた政治的事件として注目されている。自殺者はすでに100人を超えるが、今もとどまる様子はない。
(注6)王力雄:チベット事情に詳しい漢族作家。夫人はチベット族作家であり、中国語でチベット事情を発信し続けているツェリン・オーセル(唯色)さん。現在、夫婦ともに政府の厳しい監視を受けながら、台湾や日本を通じてチベット事情等に関する著作を発表している。
王力雄氏の著書:『私の西域、君の東トルキスタン』
オーセル夫人の著書:『チベットの秘密』
「劉夢熊」のインタビューは……すでに紙版に切り替わっていて、売れたのは1万冊くらいだったかな。反響も大きくて、Facebookで「売り切れだった!」という声がたくさん届きましたし、自分が買った雑誌のカバーを写真に撮って「今日手に入れた!」と言っている人もいました。でも、これは紙版だけの数字。そのほかにも電子版、そしてメーリングリストを使って届ける読者なども大きな割合を占めていましたよ。
――でも、たくさんの話題を振りまいた『陽光時務』はもうなくなってしまった。残念ですね、わずか2年間で。最初の1年間の電子雑誌は紙版を手に入れることができない大陸読者も読めるという点で画期的だった。逆に紙版になってから、香港、台湾でますます話題にする人が増えてきたように感じました。その「変化」は意識的にやったことなのですか?
長:さらに影響力を広げようと思ったんです。電子版は(中国国内で)大きな制約を受けていたし、たとえば編集部員や記者の個人の微博アカウント――直接彼らの仕事と関係のないアカウントすらも削除されてしまった。そのために「紙版ならまだ中国入りするチャンスはあるのではないか」と考えたんです。というのも、香港の書店では中国人が禁書を買って国内に持ち帰っている。だから一緒に買って持ち込んでもらえるかも……と。
ぼくら自身も「メディアの多様化」というものを意識していましたし、紙版、電子版、Kindle版、PDFやワード文書などさまざまな形式のものを考えていたんです。ですが、紙版を始めるにあたってマーケティングのほうで紙版に主力を注ぐという方針を打ち出したために、電子版が相対的に落ち込んでしまった。今から思うとそこは残念ですね。
――ということは、以前のようなマルチメディア風の電子版がなくなった結果、中国国内で読みたい人が読めなくなった、ということがあるわけですよね。
長:ええ。ですが、紙版も電子版もまだ赤字の状態でした。中国だろうが外国だろうが、一般的にメディアがその基盤を築くには3年から5年は続けなければなりません。ぼく自身も中国で新しいメディアの創刊に関わったことがあり、それが実質的な影響力をもつようになるまでには何年もかかることを知っています。
そういう意味では『陽光時務』は短い期間にそれなりの影響力を見せたと思います。しかし、そこから安定した読者層を獲得するまでの時間が足りなかった。ぼくらはちょっと急ぎすぎたのかもしれません。創刊、電子版、それが紙版に変わってから休刊への過程をちょっと焦り過ぎたようには感じています。読者に対してもうちょっと我慢強くなっていれば、さらにあと数年がんばれば、結果は違っていたはずです。ぼく自身もとても残念に思っています。ぼくらが達成した目的のなかには、事前に予想もしていなかったことがありました。
でも、わずか2年の間にマルチメディア電子版、紙版それぞれにそれぞれの効果を生んだ。マルチメディアの電子版は今ぼくがドイツのメディア関係者に見せてもドイツ人が「よく出来ている」と舌を巻き、「今までにここまで精緻なものは見たことがない」と言います。これに倣って自分たちももっといいものをつくりたい、と言ってくれるほどなのです。
紙版でも「劉夢熊インタビュー」への注目はすごかったし、その後、ぼくらが香港で主催したシンポジウムには1000人余りの人たちが参加しました。香港の普通選挙導入(注7)と「セントラル占拠」(注8)に関する話題についてです。当時、本土派とか愛港勢力(注9)とかの論争が起こっていたわけですが、シンポジウムに1000人もの市民が集まるなんてことはほかの国でもあまりないですよね。われわれはあきらかに大きな影響力を持っていました。
(注7)香港の普通選挙導入:1997年に主権がイギリスから中国に返還された後に設立された香港特別行政区政府の行政長官選出に、市民が投票する直接選挙を導入するよう求める声が高まっている。現状では2017年に行われる行政長官改選で普通選挙が行われていることになっているが、詳細は討論が続けられており、未定。
(注8)セントラル占拠:2011年のリーマン・ショック後に米国ウォール街で起こった抗議活動を真似たもので、香港の金融街セントラルに学生を中心とした人たちが座り込み、抗議活動を行った。
(注9)本土派とか愛港勢力:香港でここ数年台頭してきた、政治的な意識を持つ民間活動グループ。中国の存在を軸に抵抗、反抗、協力、受け入れなどでさまざまな立場を取っている。「本土派」は中国政府に否定的な若者中心のグループで、「愛港勢力」は香港人を自称しつつ親中的な態度をとるグループ。最近では小競り合いから暴力事件も発生している。
<…「国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(中)」に続きます。>
ふるまいよしこ
フリーランスライター
北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学び、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に日常のニュース、メディア、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。メルマガ「§ 中 国 万 華 鏡 § 之 ぶんぶくちゃいな」(月2回発行/有料):http://www.yakan-hiko.com/furumai.html
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ミカエルです
碁なら、家で、できるでしょう?
それから、去年、反日を、扇動した人間は、すべて、逮捕されました・・・。
民間人で、領海内に、入った場合、反日先導者として、
中国に逮捕される可能性があります。
『国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(上)』
とっても素晴らしいインタビューをみつけたので、コピペしてきました。
国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(上)
ふるまいよしこ | フリーランスライター
2013年9月28日 2時4分
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(この記事はメディア・アクティビスト、津田大介さんのメルマガ『メディアの現場』に連載している「中国ジャーナリズム、ネットと歩む未来」第14回で掲載したものです)
中国ジャーナリズムと海外の国々の間にはこれまでに見てきたように、われわれ日本人があまり知らない関係が複雑に存在しています。もちろん、それは中国という国の特殊性がすべての出発点なわけですが、今回はその特殊性に翻弄され、それを一番よく知る人物に海を越えてお話をうかがいました。
長平氏――中国のジャーナリストの間では彼の身に起こった数々の事件によって伝説的ともいえる存在になっている人物です。
その「伝説」を紹介すると、最初の「大事件」は2001年。彼が『南方週末』紙のニュース責任者を務めていたときでした。同紙が掲載したある記事がもとで、政府からの指示を受けて彼はニュース責任者を解任されました。同じ「南方グループ」の雑誌に異動しましたが、本名の「張平」を使うことを禁じられたためにこのときから「長平」のペンネームで執筆活動をするようになりました。
次の大事件は、2008年3月にチベットで起こった騒乱 をきっかけに、チベット独立が世界的に注目される話題になり、内外で大論争が起こったときのこと。チベットの独立を支援する海外の声に対して、中国国内で「チベットは中国の固有の領土」と激しい叫び声があがるなか、彼はそのコラムで中国政府主導のナショナリズムの高揚を批判し、「政府による評価ではなく、自由なメディアの報道を通じてチベットの真実を明らかにすべきだ」と主張したのです。このコラムには批判が殺到し、政府系メディアによる執拗な攻撃のあと、彼は当時勤めていた雑誌『南都週刊』の副編集長の職を離れました。
その後は、南方グループの別の部門である南方メディア研究所に研究員として所属。執筆活動は続いていたのですが、2010年頃から記事掲載への締め付けが始まり、2011年初めに突然彼が南方グループに解雇されたというニュースが流れてメディア界は騒然となりました。南方グループの記者や編集者たちから慰留を求める嘆願署名活動まで起こりましたが、解雇命令は撤回されず、彼が長年勤めた南方グループを去ったことを「中国メディアは氷河期に入った」と形容するジャーナリストもいました。
その後、彼は香港に脱出。そこでま ったく新しい雑誌『陽光時務』の設立に加わり、編集長に就任します。この、映像・写真・文章などを組み合わせた全く新しいマルチメディア電子雑誌は表紙が幾面もあったり、触ると画面が動いたりと、シリアスな記事とは違った、遊び心いっぱいのつくりにあふれていました(みなさんにもその「誌面」を体験していただきたく、当時の担当者に体験版のウェブサイトなどないだろうかと問い合わせてみたのですが、当時の購読者の手元以外にサンプルは残っていない、ということでした。残念です)。
しかし、一難去ってまた一難。長平氏の香港での労働許可(ビザ)申請に対して、香港の入境管理局は「違法労働の疑いがある」と審査を中断。中国で身の危険を感じていた長平氏はそのままビザ保証人となった機関のあるドイツに引っ越し、その後約2年間、ドイツにある同氏の書斎と香港にある編集部をネットで結んで『陽光時務』の編集作業が続けられました。香港当局のビザ審査中断は「中国の圧力ではないか」という報道も出ましたが、今のところ真相は闇の中にあります。
その間、中国当局による報道規制を受けない『陽光時務』は、中国国内で次々と発生した大事件に対して独自の調査報道を展開し、じわじわと注目されるようになります。ですが、一方でますます中国政府による囲い込み――電子版ダウンロードサイトのアクセスブロックなどが続き、読者獲得に苦戦を強いられました。その後編集部内部の変動を経て、2年目からは紙版雑誌も発行するようになりましたが、今年3月に長平氏が編集長を辞任、5月には休刊宣言をしてしまいました。
20年以上も中国で指折りのメディア『南方週末』やその母体の南方メディアグループでジャーナリストとして働き、自分の理念に基づいた冷静な意見を発表し続け、いまだに中国国内のジャーナリストたちが当局の目を盗んでは引用する長平氏のコラム。そんな気骨あるジャーナリストは今、ドイツにいながら中国のジャーナリズム界をどう見て、どんな関わり方をしているのかを、フランクフルトへの国際電話で尋ねてみました。
◇長平氏インタビュー~国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~
――あなたは香港で2011年8月に雑誌『陽光時務』を立ち上げ、編集長に就任されましたが、同誌創刊の目的は何だったのでしょう?
長平(以下、「長」):当時、中国、香港、台湾の三地域には、中国国内で起こっていることに対して深い報道をするメディアがなかった。中国が関わる国際的な出来事、あるいは香港や台湾における出来事に対する深い分析や報道も存在していなかったんです。
中国国内には『南方週末』『南方都市報』『新京報』、そして上海の『東方早報』といった優秀なメディアがあり、それぞれに深みのある報道をしています。ですが、厳しい制約を受けており、政府の宣伝部が「これを報道するな」「あれもダメだ」という通知を一本出すだけでとても大きな影響を受けます。だから『南方週末』のように、深層報道に関心をもち、またそれを成し遂げる能力のあるメディアですら、取り上げられない話題が多くある。
一方、香港、台湾における中国関連の報道は中国より自由です。でも、メディア自体の関心があまりそこに向いていないために基本的に深みのある調査報道がありません。ほとんどが、中国の日常的な情報の報道にとどまっている。しかし、中国事情はますます重要になってきている。世界の四分の一の人口を占め、そのために世界的にも資源や領土の面で、中国事情は必然的に香港、台湾、そして日本をも含むアジア周辺諸国に、さらには世界全体に影響を与えるのは明らかです。
残念ながら、この点が国際社会ではまだきちんと認識されていない。実際に「地球村」的意識を持ったメディアは存在しておらず、国連という存在もありますがその本当の役割を果たせていない。多くの人たちが中国で起こっていることを「中国のこと」と考え、また中国政府もたびたび「これはわれわれの内政問題だ」と主張している。
でも現実においては、中国が今世界を変えているのです。ビジネス・ルールや政治的な原則などを変えてきている。中国は早くから――いやこれまでもずっと世界の一部だったということをメディアは十分に認識していない。『陽光時務』はそこを補填しようとしたわけです。もちろん、メディア報道を通じて言論の限界を広げ、そこから中国の民主的な進歩を推進したいという目的もありました。
◇マルチメディア『陽光時務』の誕生
――そうして誕生した『陽光時務』は、最初はマルチメディア雑誌のかたちをとっていて、中国国内の読者たちにものすごく歓迎されました。でも、当時香港では影響力をもてなかったようですが?
長:うーん、「影響力」をどう考えるか、ということではないでしょうか。あの頃、ぼくらのマーケティングが理想的ではなかったのはたしかです。理由の一つとして、中国では厳しい封鎖を受けました。香港市場においては、電子雑誌という形態は期待したほど受け入れられなかった。でも、ほかの手段――ウェブサイトやFacebookなどを通じて読者に届けるよう努力した結果、創刊から半年で「アジア出版業協会」(注1) の大賞を4つ受賞しました。それもまた、ぼくたちの影響力が注目され、肯定的に評価されたことの証明だと思います。
(注1)アジア出版業教会:出版業界のプロモート、現地と海外メディアのアジアでの協力、また出版業界関係者間のコミュニケーションをはかることを目的に、香港で設立された。ちなみに、『陽光時務』は今年6月に行われた、今年度の授賞式でも8部門にノミネートされ、「人権報道」「ニュース評論」「政治漫画」「メディアニュース」など7部門で受賞している。
The Society of Publishers in Asia:http://www.sopasia.com/
――たしかにメディア関係者の間においては、あなたがたの報道に注目が集まっていたと思います。でも、香港の一般環境においての影響力はそれほどなかったことが「香港メディア」として残念だな、と。一方で、制約された状態におかれている中国国内の人たちの情報取得の積極性は、香港人よりも大きかったということでしょうね。
長:「読む」習慣の違いもあると思います。香港、台湾のメディアはゴシップに流れるところがあって、実際に政治報道でもゴシップっぽい書き方をする傾向があります。『陽光時務』はシリアスな時事政治関係雑誌なので、そのために(香港の)一般読者に「重苦しい」と思われたのかもしれません。
ローカル市場の傾向は、人々の「読む」習慣の形成にある程度影響を与えます。新聞を手にすれば1本のニュースを2分間で読めるという人には、雑誌を手にとって10分、あるいは2時間もかけて読むなんて耐えられないでしょう。
でも、中国国内のメディア――たとえば『南方週末』などは、かつては100万部あまりの発行部数を誇ったこともあるほどの人気紙なわけですが、それなりに長い報道や評論が中心なんです。欧米メディアの『ワシントン・ポスト』や『ニューヨーク・タイムズ』などの朝刊紙でも深層報道の記事はとても長いし、理論分析もしっかりしています。読者がそれに慣れ親しんでいるということですね。
――そんな『陽光時務』が実際に香港人読者で注目されたのは、やっぱり「劉夢熊インタビュー」(注2)の号ですか?
(注2)劉夢熊インタビュー:2013年1月24日号掲載。劉夢熊とは、中国中央政府が任命する全国協商会議委員を務める、中央政府寄りの香港人政治関係者。2012年に第四代香港特別行政区の長官に就任した梁振英氏の支持者と見られていたが、同インタビューで梁を「嘘つき」と呼んで「香港市民を騙している」と指摘し、香港中が大騒ぎになった。
長:そうですね。それまでにも香港人読者の間で注目された記事はありました。たとえば、李旺陽(注3)や艾未未(注4)の記事とか。まぁ、これはもともと香港メディアが注目していた話題でもあったことが前提になるわけですが。あと、チベット人の焼身自殺事件(注5)の悲劇には世界中のメディアが驚きながらも、その注目の仕方は不十分だった。報道の自由をもっている海外メディアですらより突っ込んだ報道が見られなかったんです。ぼくらはそこに王力雄氏(注6)を迎えて、深い分析と新たな事実の紹介をしました。あの号はたしか、「劉夢熊インタビュー」に次ぐ売上げになったはずです。
(注3)李旺陽:湖南省の民主活動家。1989年の天安門事件に連座し、22年間を獄中で過ごして2011年5月に刑期満了で出獄。香港ケーブルテレビの天安門事件回顧番組で受けたインタビューが天安門事件24周年の2012年6月4日に放送され、その2日後に軟禁されていた病院で不審死。現地の公安関係者の関与が疑われている。
(注4)艾未未:中国人アーティスト。北京オリンピックのメインスタジアム設計チームのメンバーだが、2008年5月に起きた四川大地震被災者への中国政府の情報隠しを批判し、オリンピック開会式への出席を拒絶。その後激しい政府批判をアートやネットを通じて繰り返している。2011年4月に脱税容疑で拘束され、90日後に釈放されるが、その後も厳しい監視生活を余儀なくされている。
(注5)チベット人の焼身自殺事件:帰属問題がくすぶり続けている中国政府統治下のチベット人居住地区で、2009年から路上など公衆の面前でチベット人の焼身自殺による抗議事件が続発。彼らが厚く信奉するチベット仏教では自殺を戒めており、それをも超えた政治的事件として注目されている。自殺者はすでに100人を超えるが、今もとどまる様子はない。
(注6)王力雄:チベット事情に詳しい漢族作家。夫人はチベット族作家であり、中国語でチベット事情を発信し続けているツェリン・オーセル(唯色)さん。現在、夫婦ともに政府の厳しい監視を受けながら、台湾や日本を通じてチベット事情等に関する著作を発表している。
王力雄氏の著書:『私の西域、君の東トルキスタン』
オーセル夫人の著書:『チベットの秘密』
「劉夢熊」のインタビューは……すでに紙版に切り替わっていて、売れたのは1万冊くらいだったかな。反響も大きくて、Facebookで「売り切れだった!」という声がたくさん届きましたし、自分が買った雑誌のカバーを写真に撮って「今日手に入れた!」と言っている人もいました。でも、これは紙版だけの数字。そのほかにも電子版、そしてメーリングリストを使って届ける読者なども大きな割合を占めていましたよ。
――でも、たくさんの話題を振りまいた『陽光時務』はもうなくなってしまった。残念ですね、わずか2年間で。最初の1年間の電子雑誌は紙版を手に入れることができない大陸読者も読めるという点で画期的だった。逆に紙版になってから、香港、台湾でますます話題にする人が増えてきたように感じました。その「変化」は意識的にやったことなのですか?
長:さらに影響力を広げようと思ったんです。電子版は(中国国内で)大きな制約を受けていたし、たとえば編集部員や記者の個人の微博アカウント――直接彼らの仕事と関係のないアカウントすらも削除されてしまった。そのために「紙版ならまだ中国入りするチャンスはあるのではないか」と考えたんです。というのも、香港の書店では中国人が禁書を買って国内に持ち帰っている。だから一緒に買って持ち込んでもらえるかも……と。
ぼくら自身も「メディアの多様化」というものを意識していましたし、紙版、電子版、Kindle版、PDFやワード文書などさまざまな形式のものを考えていたんです。ですが、紙版を始めるにあたってマーケティングのほうで紙版に主力を注ぐという方針を打ち出したために、電子版が相対的に落ち込んでしまった。今から思うとそこは残念ですね。
――ということは、以前のようなマルチメディア風の電子版がなくなった結果、中国国内で読みたい人が読めなくなった、ということがあるわけですよね。
長:ええ。ですが、紙版も電子版もまだ赤字の状態でした。中国だろうが外国だろうが、一般的にメディアがその基盤を築くには3年から5年は続けなければなりません。ぼく自身も中国で新しいメディアの創刊に関わったことがあり、それが実質的な影響力をもつようになるまでには何年もかかることを知っています。
そういう意味では『陽光時務』は短い期間にそれなりの影響力を見せたと思います。しかし、そこから安定した読者層を獲得するまでの時間が足りなかった。ぼくらはちょっと急ぎすぎたのかもしれません。創刊、電子版、それが紙版に変わってから休刊への過程をちょっと焦り過ぎたようには感じています。読者に対してもうちょっと我慢強くなっていれば、さらにあと数年がんばれば、結果は違っていたはずです。ぼく自身もとても残念に思っています。ぼくらが達成した目的のなかには、事前に予想もしていなかったことがありました。
でも、わずか2年の間にマルチメディア電子版、紙版それぞれにそれぞれの効果を生んだ。マルチメディアの電子版は今ぼくがドイツのメディア関係者に見せてもドイツ人が「よく出来ている」と舌を巻き、「今までにここまで精緻なものは見たことがない」と言います。これに倣って自分たちももっといいものをつくりたい、と言ってくれるほどなのです。
紙版でも「劉夢熊インタビュー」への注目はすごかったし、その後、ぼくらが香港で主催したシンポジウムには1000人余りの人たちが参加しました。香港の普通選挙導入(注7)と「セントラル占拠」(注8)に関する話題についてです。当時、本土派とか愛港勢力(注9)とかの論争が起こっていたわけですが、シンポジウムに1000人もの市民が集まるなんてことはほかの国でもあまりないですよね。われわれはあきらかに大きな影響力を持っていました。
(注7)香港の普通選挙導入:1997年に主権がイギリスから中国に返還された後に設立された香港特別行政区政府の行政長官選出に、市民が投票する直接選挙を導入するよう求める声が高まっている。現状では2017年に行われる行政長官改選で普通選挙が行われていることになっているが、詳細は討論が続けられており、未定。
(注8)セントラル占拠:2011年のリーマン・ショック後に米国ウォール街で起こった抗議活動を真似たもので、香港の金融街セントラルに学生を中心とした人たちが座り込み、抗議活動を行った。
(注9)本土派とか愛港勢力:香港でここ数年台頭してきた、政治的な意識を持つ民間活動グループ。中国の存在を軸に抵抗、反抗、協力、受け入れなどでさまざまな立場を取っている。「本土派」は中国政府に否定的な若者中心のグループで、「愛港勢力」は香港人を自称しつつ親中的な態度をとるグループ。最近では小競り合いから暴力事件も発生している。
<…「国内外から中国ジャーナリズムを眺めて~反骨のジャーナリスト、長平氏インタビュー(中)」に続きます。>
ふるまいよしこ
フリーランスライター
北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部中国学科卒。1987年から香港中文大学で広東語を学び、雑誌編集者を経てライターに。現在は北京を中心に、主に日常のニュース、メディア、インターネット事情などから、日本メディアが伝えない中国社会事情をリポート、解説している。著書に『香港玉手箱』(石風社)、『中国新声代』(集広舎)。メルマガ「§ 中 国 万 華 鏡 § 之 ぶんぶくちゃいな」(月2回発行/有料):http://www.yakan-hiko.com/furumai.html
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