『ファンキー末吉(ファンキーすえよし)、中国で、活躍☆』




ミカエルです




ちっとも、知らなかったんですけど・・・


コピペして来ました。

ファンキー末吉(ファンキーすえよし、1959年7月13日 - )は、香川県坂出市出身のミュージシャン、ドラマー、文筆家。本名は末吉 覚(すえよし さとる)。ファンキーとは自身がファンク指向であったことから付けられた芸名である。

香川大学教育学部附属坂出中学校、香川県大手前高等学校卒業、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)管理科学科中退。





爆風スランプの活動と並行し、
ジャズのステージにも立つなど、多方面で活動。
爆風スランプの活動休止後、

1999年に二井原実(LOUDNESS)らとともに「X.Y.Z.→A」を結成。

また、「夜総会BAND」のドラマーとしても活動する。

また、1990年には当時アングラ的存在であった中国のロックシーンに触れる。この体験に基づく小説を著すとともに、


中国でスタジオ・ミュージシャン、音楽プロデューサー(サザンオールスターズの北京公演も彼のコーディネートによるところが大きい)などの仕事を手がけるようになる。



中国人女性と結婚したこともあり、
2001年には生活の場を北京に移し、
中国を拠点として活動するようになった。
こうした経緯から中国語に堪能であり、
中国語会話に関連した著作もある。
1999-2000年にNHK教育テレビの「中国語会話」にレギュラー出演した。

1997年、SMAPの香取慎吾主演の映画「香港大夜総会~タッチ&マギー~」(東宝)において、
サウンドトラックを担当。
楽曲の演奏メンバーは夜総会BANDのメンバーが中心となっている。

2006年、中国映画「瘋狂的石頭(クレイジーストーン)」(寧浩監督)の音楽を担当。
この映画は中国全土でヒットし、東京国際映画祭でも上映された。




2007年、北朝鮮で(合法的に)ロックバンドを作るプロジェクトを開始した。
既に何度か北京経由で渡航している。
そのプロジェクトは「NEWS ZERO特別版"北朝鮮でロックする!"」(日本テレビ)でドキュメンタリーとして放送された。

2009年5月、東京都八王子市に「Live Bar X.Y.Z.→A」を開店した。






JASRACとの戦い[編集]

2009年5月に「Live Bar X.Y.Z.→A」を開店させてからしばらくして日本音楽著作権協会(JASRAC)から著作権料の支払いを求める手紙が届いたが、手紙の内容をみた末吉が不可解な料金徴収法に対し激怒した。

末吉曰く「これではヤクザのみかじめと同じである。
ちゃんと著作権者に分配しろよ!!」と憤っており、
弁護士にも相談、JASRACと長期間に渡る交渉を行う事を決意した。




具体的には、自らのバンドであるX.Y.Z.→Aに関するJASRACからの分配額のうち、
ライブハウスの演奏・カラオケなど「社交場」カテゴリーの分配額がゼロであることに対し
「X.Y.Z.→Aはこの10年で300本ぐらいライブをしているのに、
印税が全くないのはおかしい」と疑問を持ったことが発端であるとしている[2]。



つまり、ジャスラックは、ライブハウスから、料金を徴収していたのに、
XYZ→Aに、分配してなかったらしい。




自らも『Runner』の作曲者として印税支払いを受け、
同曲の遠藤真志によるカバーバージョンがダイハツ・ムーヴカスタムのCMに使用された際には

「トータルで八王子に家が買えるぐらい」の印税を得るなど、

JASRACから相応の恩恵も受けていることを明らかにしつつ、


今後JASRACの分配額決定方法について公開の話で第三者も交えた議論を行い「時代に合った新たな徴収方法」を模索することが必要だとの見解を示した[2]。

著作[編集]

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