『商工会議所に残ってた高松市の地図は、いったい、何処に保管されていたのか、市役所さえ焼けてしまっていたのに・・・』










                      ミカエルです



最近、高松市の戦前の地図を見る機会がありました・・・。


けれど、それは、はたして、いったい、何処に保管されていたのか・・・。


もしくは、戦後、作ったのか・・・。


高松で、燃え残ったのは、わずか、三つの防爆施設。


つまり、爆撃に耐えられる建築物のみです・・・・。




百十四銀行、

大和生命、

あと、北署やったかなぁぁぁぁ・・・



市役所も、県庁も丸焼けのはずだ・・・。




人口30万人の町が、丸焼けになって、死者が、1000人、2000人と言われて信じろと言われても・・・・
工場が、一つ、ふっとぶだけで、300人は死ぬ・・・。


小学校一つだけで、1000人はいた・・・。
日赤の病人だけでも、相当いた、
中央病院もその当時あったら相当いた・・・。


必死で町の外を目指して走っていけば、また、そこは、火の海で、逃げる場所が無かった・・・。

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