質問なるほドリ:リシャウィ死刑囚、釈放要求なぜ?=回答・三木幸治
毎日新聞 2015年01月29日 東京朝刊
リシャウィ死刑囚とヨルダンを巡る関係図
拡大写真
◇「英雄」奪還で組織の結束力高める
なるほドリ イスラム過激派(かげきは)組織「イスラム国」(IS)が後藤健二さん(47)の「人質交換(ひとじちこうかん)」の相手とするサジダ・リシャウィ死刑囚(しけいしゅう)は、どんな人物なの?
記者 イラク西部の出身で、40代とみられます。2003年に始まったイラク戦争できょうだい2人を米軍の攻撃で失い、さらにISの前身(ぜんしん)組織「イラクの聖戦(せいせん)アルカイダ組織」(AQI)の元最高指導者、ザルカウィ容疑者(ようぎしゃ)(06年に米軍の空爆で死亡)の側近だった別のきょうだい1人も米軍の攻撃で死にました。
05年、親欧米国ヨルダンの首都アンマンで、連続ホテル自爆(じばく)テロ事件に夫とともに関与。夫は自爆死しましたが、本人は機材の故障で自爆に失敗し、当局に拘束(こうそく)されました。06年に死刑判決を受けています。
Q ISにとって彼女は重要な存在なの?
A イスラム教徒にとって「保護すべき存在」とされる女性が自爆テロに参加したため、ISから英雄視(えいゆうし)されています。ISにとっては「英雄」を奪還(だっかん)することで、組織の結束力を高める狙いなどがあるとみられます。また、ザルカウィ容疑者が奪還を強く望んでいたことも大きいようです。
Q ザルカウィ容疑者はヨルダン人なんだって?
A ええ。1980年代、アフガニスタンで国際テロ組織アルカイダを率いたウサマ・ビンラディン容疑者と行動を共にしたという話があります。イラク戦争ではイラク入りし、バグダッドの国連(こくれん)事務所爆破などテロ事件を起こしました。
外国人を拉致(らち)してイラク駐留軍(ちゅうりゅうぐん)の撤退などを要求し、拒否されると人質の首をはねインターネット上に動画を公開するという残忍(ざんにん)な手法でも知られました。04年にはAQIに日本人男性(当時24歳)も拘束され殺害されました。その手法は、元AQI幹部で、今はISトップのバグダディ指導者に引き継がれています。
Q ISはヨルダン人のパイロットを拘束し、人質交換をめぐりヨルダンを追い詰めているね。
A 05年のアンマン連続自爆テロの後、ヨルダンは過激派対策を強化しました。ザルカウィ容疑者が米軍の空爆で殺害された際は、ヨルダンが米国に居場所を伝えたとされています。ヨルダンとISの確執(かくしつ)は深いのです。(外信部)
毎日新聞 2015年01月29日 東京朝刊
リシャウィ死刑囚とヨルダンを巡る関係図
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◇「英雄」奪還で組織の結束力高める
なるほドリ イスラム過激派(かげきは)組織「イスラム国」(IS)が後藤健二さん(47)の「人質交換(ひとじちこうかん)」の相手とするサジダ・リシャウィ死刑囚(しけいしゅう)は、どんな人物なの?
記者 イラク西部の出身で、40代とみられます。2003年に始まったイラク戦争できょうだい2人を米軍の攻撃で失い、さらにISの前身(ぜんしん)組織「イラクの聖戦(せいせん)アルカイダ組織」(AQI)の元最高指導者、ザルカウィ容疑者(ようぎしゃ)(06年に米軍の空爆で死亡)の側近だった別のきょうだい1人も米軍の攻撃で死にました。
05年、親欧米国ヨルダンの首都アンマンで、連続ホテル自爆(じばく)テロ事件に夫とともに関与。夫は自爆死しましたが、本人は機材の故障で自爆に失敗し、当局に拘束(こうそく)されました。06年に死刑判決を受けています。
Q ISにとって彼女は重要な存在なの?
A イスラム教徒にとって「保護すべき存在」とされる女性が自爆テロに参加したため、ISから英雄視(えいゆうし)されています。ISにとっては「英雄」を奪還(だっかん)することで、組織の結束力を高める狙いなどがあるとみられます。また、ザルカウィ容疑者が奪還を強く望んでいたことも大きいようです。
Q ザルカウィ容疑者はヨルダン人なんだって?
A ええ。1980年代、アフガニスタンで国際テロ組織アルカイダを率いたウサマ・ビンラディン容疑者と行動を共にしたという話があります。イラク戦争ではイラク入りし、バグダッドの国連(こくれん)事務所爆破などテロ事件を起こしました。
外国人を拉致(らち)してイラク駐留軍(ちゅうりゅうぐん)の撤退などを要求し、拒否されると人質の首をはねインターネット上に動画を公開するという残忍(ざんにん)な手法でも知られました。04年にはAQIに日本人男性(当時24歳)も拘束され殺害されました。その手法は、元AQI幹部で、今はISトップのバグダディ指導者に引き継がれています。
Q ISはヨルダン人のパイロットを拘束し、人質交換をめぐりヨルダンを追い詰めているね。
A 05年のアンマン連続自爆テロの後、ヨルダンは過激派対策を強化しました。ザルカウィ容疑者が米軍の空爆で殺害された際は、ヨルダンが米国に居場所を伝えたとされています。ヨルダンとISの確執(かくしつ)は深いのです。(外信部)
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