概要
主な活動・主張編集
主任制反対編集
1975年の学校教育法施行規則改正により導入された主任制は、「教員に対する管理体制の強化であり、手当を支給し管理職意識を植え付ける事により、組合組織の弱体化を図るものである」と主張。1981年2月24日には、それまで支給された組合員の主任手当およそ1億1千万円を道教委に返還するものの、道教委はそれを拒否。互いに押し付けあうという騒動が起こっている。 1989年、道教委と北教組によって主任制解決案の合意を見たが、その直後に当時の西岡文部大臣が、合意案の撤回を道教委に求め、結局北海道方式の主任制は実現に至らなかった。 それ以降も北教組は組合員の主任手当相当額を毎月徴収し、道教委に返還する運動を2007年まで続けていたが何れも拒否されている。北教組側は「道教委に返還拒否された金は金融機関に預けている」と説明している。 2013年、北教組中央委員会は、主任手当の活用に関して高校進学時に給付する「返還義務なし」奨学金制度をスタートさせた。これは「主任手当」を原資として、経済的に厳しい世帯の子どもたちの進学をサポートすることを目的としている。2014年入学者向けの募集人数は250人で、北海道内の高校に進学を希望する道内の中学校に在籍している中学3年生を対象とした。3月下旬より各対象者家庭に10万円を支給したとされる。希望者が募集人員を超えたため、希望したものの、支給がかなわなった家庭が生じた。
主任の命課は、市町村の学校管理規則(校内組織)に基づき、通常入学式の前日までに行われる。校長の命課の後、組合員より命課返上の申し出があるが、実質的に各主任は位置づけられ、校長により主任が機能されている。主任制反対から派生したかつての国旗国歌強制反対の取り組みも形骸化しており、卒・入学式にかかわる提案は、教務(主任)や管理職からなされ、ほとんどの学校で「式次第」に「国歌斉唱」が含まれている。
いじめの実態調査への協力返上編集
滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件をきっかけとして、北海道教育委員会が2006年12月、いじめの実態調査を実施したが、北教組の執行部が21ヶ所の支部に対して、調査の項目について問題があるとして調査に協力しないよう指導していたことが、2007年1月に報道された[3]。
その後も、いじめ実態調査への協力拒否を強く打ち出しているが、反対表明とはうらはらに、道教委によって完全実施されている。北教組中央委員会は、この手の調査の多くがそうであるように道教委はアリバイ的(道議会対策として)にいじめ調査を実施している面があり、実態がどうあれ、いじめの申告件数を減らすことを現場に求めるだけに過ぎないとしている。
AED一方的導入反対編集
AED(自動体外式除細動器)の学校への配置について2007年定期大会で「一方的な導入に反対する」との方針を表明した。反対理由については以下の3例を挙げ、講習の強要などの問題が生じていることを理由に「一方的導入」に反対し、「いのちへの意識」を表明した。
配備より、学校の安全体制づくり
AEDは医療行為であり有効性、必要性、安全性に疑問がある(救急蘇生国際ガイドラインによりAEDの高い有効性が実証されている。一方、不具合で動作しない事例[4]も多く総務省と厚生労働省が共同事務局を担う「全国メディカルコントロール協議会連絡会」 (会長=小林國男・帝京平成大教授)が全国の消防機関を対象に実施した調査(2010年12月から2011年1月に実施)で、AED(自動体外式除細動器)の不具合が疑われた事例の報告が計328件あった[5]。奈良県では死亡事故も報告されている[6]))
AEDがまれに火災を起こすと主張(日本では実際には火災を起した前例は無いが、AEDのマニュアルでは、可燃性ガスや高濃度酸素がある環境では、爆発や火災を起こす危険性があるため、使用しないものとしている)。
フッ素洗口反対編集
虫歯予防のために進めるフッ素洗口についても、日弁連や日本消費者連盟とともにユニセフの見解等をふまえ、集団フッ素洗口に反対している。集団フッ素洗口実施の県では、虫歯の保有率が低いとの調査があるが、フッ素洗口そのものの効果ではなく、虫歯予防活動の啓蒙が強いことの影響が考えられるとしている。
竹島問題に関する見解編集
2008年11月28日に機関紙「北教」で、「竹島問題は韓国の主張が正しく、島根県などが竹島の領有権を求める行為は、日本の侵略・植民地支配を正当化する不当極まりないものである」と厳しく非難、2009年12月28日には朝鮮日報の取材に対し、昨年「韓国側の主張が正当だ」という学習資料を配付した北教組の信岡聡書記次長が「(独島が)明確に日本のものだと主張できるだけの根拠は発見できなかった。生徒の正しい判断を助けるため、われわれが判断したことを学習資料に盛り込んだ」「日本の竹島領有権主張は、(日露)戦争中に用途が生まれ、主張し始めたものだ。明確に日本の領土だと主張できるだけの(歴史的)根拠を探し出すことはできなかった」「日本の教育には、“近隣諸国条項”というものがある。教科書を叙述する際、教室で生徒たちに教える際、近隣の国に配慮しなければならない、という原則だ。まだ解決していない問題を教科書に載せることは、この原則から外れている」と語った。(韓国に領有権があるとは主張していない)
これら主張に対し、拓殖大学教授の下條正男は「竹島が韓国の領土で日本の領土でないという歴史的見解を示せ」という趣旨の公開質問状を示した[7]。また、維新政党・新風とも連携し[8]、北教組の竹島問題に関する見解など4項目からなる公開質問状を送付した。
国旗国歌強制の反対編集
2010年3月4日、産経新聞の報道により北教組日高支部において国旗・国歌の一方的な入学式や卒業式への実施に反対する立場から「『日の丸君が代』強制に反対するとりくみについて」という取り組みマニュアルを配布していたことが発覚[9]。同問題が国会で取り上げられ川端達夫文部科学大臣は「学習指導要領から国旗国歌を大事にと指導しており、北海道教育委員会と連携して指導する」と述べた[10]。また、産経新聞は、北教組日高支部が国会で批判した議員を呼び捨てにして批判する文書を配布したとし[11]、これを受けて自民党馳浩議員は国会でこの文書について「こういうのを蛙の面に小便というんです」と批判するなどして、北教組叩きに力を注いだ[12]。
ストライキ編集
特に1970年代から1980年代にかけて度々ストライキを実施しており、道教委から処分を受けている。処分を受けた一部組合員らは、「労働争議を禁じた地方公務員法は労働者の団体交渉権などを保障した憲法に違反している」として、処分の取り消しを求め提訴したものの、2006年7月8日、最高裁は「地方公務員の争議行為を禁じた地方公務員法の規定は違憲ではない」として訴えを退けている。その後、2008年には「政府が公務員にストライキ権を含む労働基本権を与えないのは条約違反だ」として、国際労働機関に提訴している。(ILOからは是正勧告が出されている[要出典])
1969年 - 組合員の教諭・事務職員53人がストライキを実施。戒告処分を受ける。
1977年5月19日 - 全1日ストライキを実施。北海道警察は当時の委員長ら幹部3人を地方公務員法違反で検挙。組合員約2万3000人が道教委から処分を受ける。
1981年 - 役員9人がストライキを実施。停職1か月の懲戒処分を受ける。
1984年 - 人事院勧告の早期完全実施を求め、2時間の「公務員共闘」統一ストライキを実施。
2001年 - 労使協定(四六協定)撤廃を巡り、29分間の時限ストライキを実施。
2008年 - 査定昇給制度導入などを巡り、1時間の時限ストライキを実施。約1万2700人が戒告または減給処分となった。
選挙運動編集
国政選挙への関与編集
「小林千代美」も参照
2009年の第45回衆議院議員総選挙において、民主党の小林千代美(北海道第5区選出)の選挙運動の中核となり、当選に大きく貢献した。2010年2月15日、本組合が「選挙対策費用」として小林陣営に1600万円を渡したことに関して、札幌地検が「政治資金規正法第21条違反の疑いがある」として、本組合本部や、選挙対策委員長を務めた本組合委員長代理の自宅マンションなどへのを家宅捜索をおこない[13]、3月1日には本組合の委員長代理、書記長、会計委員と財政局長の4名を逮捕した[14][15]。また、両罰規定により、団体としての本組合も起訴された[16]。しかしながら、献金した手続きが順当であれば、労働組合が政党や政党支部、政治資金管理団体に献金することは違法行為ではない。1600万円とされた金額自体も選挙資金としてみればごく少額である。微罪と受け取れる側面もあったが、札幌地検は50名もの係官を派遣し、適宜検察のリークもあって、マスコミはこの事件に飛びついた。一連の検察の動きに対し、民主党潰しとの見方もある[17]。これに対し本組合は「不当な組織弾圧」と表明し、事件には言及せず「外部からの問い合わせには一切答えないように」と道内支部に対しかん口令を敷いた[18]。
この事件に対して、北海道教育委員会は、教職員に加え保護者、住民に対して、北教組が教育公務員特例法に抵触する政治活動や学習指導要領に反する行為をしていないか、就業時間内に組合活動をしていないかなど多岐について情報提供を求める(公務員特例法に抵触しない政治活動について聞く項目もあった。北海道教育委員会・教職員の服務規程に関する調査報告参照)が、北教組は「政治的行為の自由を過度に規制するもので人権侵害。指導要領の徹底は教職員の思想・良心の自由、ひいては子どもの教育を受ける権利を侵害する」と反発し、道内の教職員計約6300人が北海道の4弁護士会に人権救済を申し立てた[19]。
四六協定維持闘争編集
1971年(昭和46年)に、北教組・道高教組(北海道高等学校教職員組合連合会)と道教委との間で結ばれた労使協定(通称・四六協定)は、「勤務条件にかかわるものはすべて交渉事項とする」「長期休業中の帰省の場合は自宅研修扱いとすること」などの教職員の立場を保全する文言が含まれていた。
2001年 - 道教委が違法性が高いと判断した大部分を破棄。それに抗議した北教組側はストライキを実施。
2007年 - 「道教委が全面破棄を検討 高橋知事も道教委を全面支持」と報道される[20]。
2008年 - 「四六協定破棄を道教委正式提示 北教組反発」と報じられる[21]。同年12月26日、道教委の吉田洋一教育長は「時間をかけ、誠意をもって交渉してきた。これ以上、議論を続けるのは難しい」と破棄を通告。北教組の住友肇委員長は、「不当通告に屈せず、協定は存在するという思いで、子供の側に立つ教育をしたい」と述べた[22]。翌12月27日失効。
2011年 - 「四六協定」の破棄を認めず、北教組は支部・支会・分会単位での権利保全を求める取り組みの継続を行っている。特に長期休業中の自宅研修、図書館での校外研修について、教育公務員特例法に定められた研修権を確立するため、研修の権利の承認を校長に求める取り組みを継続している。2011年度当初に実施された会計検査院の勤務実態調査は、研修場所を図書館としていた校外研修計画書・報告書の期日が図書館休館日であった事例があったことなどを明らかにした。研修報告が、教材研究など数行の記述であったり、成果物も本のコピー1枚であるなど、研修の実態を伴わないものがあったことから、勤務実態調査は、同年10月全道の悉皆調査へと移行した。しかし、会計検査院の報告では、不適切な研修であったのはごく一部であり、調査を行った会計検査院の職員は、千歳空港からタクシーの往復にて組合が強いとされた支部の職場に出向いて書類上のミスを点検しただけで、報告を済ませたとされている。これにより、学校現場に研修権行使に関する萎縮ムードが広がった。
起立時などの号令編集
1980年代においては起立時における「気をつけ」「休め」の号令を「石」「綿」という号令をしていたことがあった。その後保護者らによる教育委員会への是正措置を経て現在では「気をつけ」「休め」の号令が行われている。
自衛隊への認識編集
「教え子を再び戦場へ送らない」という原則と、日本国憲法第9条から、かつては自衛隊と軍隊はどう違うのか?と言う事を子供たちに考えさせている組合員もいた。自社さ連立政権時の村山元首相の自衛隊合憲表明を契機として、自衛隊の存在そのものを否定する見方はほとんど消失し、基地周辺の学校に勤務する組合員の多くは、様々な配慮をしながら教育活動を行っているとされている。
関連人物編集
横路節雄
池端清一
横路孝弘
鉢呂吉雄
池田隆一
小林千代美
脚注・出典編集
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^ 『朝日新聞・北海道版』2010年2月17日付
主な活動・主張編集
主任制反対編集
1975年の学校教育法施行規則改正により導入された主任制は、「教員に対する管理体制の強化であり、手当を支給し管理職意識を植え付ける事により、組合組織の弱体化を図るものである」と主張。1981年2月24日には、それまで支給された組合員の主任手当およそ1億1千万円を道教委に返還するものの、道教委はそれを拒否。互いに押し付けあうという騒動が起こっている。 1989年、道教委と北教組によって主任制解決案の合意を見たが、その直後に当時の西岡文部大臣が、合意案の撤回を道教委に求め、結局北海道方式の主任制は実現に至らなかった。 それ以降も北教組は組合員の主任手当相当額を毎月徴収し、道教委に返還する運動を2007年まで続けていたが何れも拒否されている。北教組側は「道教委に返還拒否された金は金融機関に預けている」と説明している。 2013年、北教組中央委員会は、主任手当の活用に関して高校進学時に給付する「返還義務なし」奨学金制度をスタートさせた。これは「主任手当」を原資として、経済的に厳しい世帯の子どもたちの進学をサポートすることを目的としている。2014年入学者向けの募集人数は250人で、北海道内の高校に進学を希望する道内の中学校に在籍している中学3年生を対象とした。3月下旬より各対象者家庭に10万円を支給したとされる。希望者が募集人員を超えたため、希望したものの、支給がかなわなった家庭が生じた。
主任の命課は、市町村の学校管理規則(校内組織)に基づき、通常入学式の前日までに行われる。校長の命課の後、組合員より命課返上の申し出があるが、実質的に各主任は位置づけられ、校長により主任が機能されている。主任制反対から派生したかつての国旗国歌強制反対の取り組みも形骸化しており、卒・入学式にかかわる提案は、教務(主任)や管理職からなされ、ほとんどの学校で「式次第」に「国歌斉唱」が含まれている。
いじめの実態調査への協力返上編集
滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件をきっかけとして、北海道教育委員会が2006年12月、いじめの実態調査を実施したが、北教組の執行部が21ヶ所の支部に対して、調査の項目について問題があるとして調査に協力しないよう指導していたことが、2007年1月に報道された[3]。
その後も、いじめ実態調査への協力拒否を強く打ち出しているが、反対表明とはうらはらに、道教委によって完全実施されている。北教組中央委員会は、この手の調査の多くがそうであるように道教委はアリバイ的(道議会対策として)にいじめ調査を実施している面があり、実態がどうあれ、いじめの申告件数を減らすことを現場に求めるだけに過ぎないとしている。
AED一方的導入反対編集
AED(自動体外式除細動器)の学校への配置について2007年定期大会で「一方的な導入に反対する」との方針を表明した。反対理由については以下の3例を挙げ、講習の強要などの問題が生じていることを理由に「一方的導入」に反対し、「いのちへの意識」を表明した。
配備より、学校の安全体制づくり
AEDは医療行為であり有効性、必要性、安全性に疑問がある(救急蘇生国際ガイドラインによりAEDの高い有効性が実証されている。一方、不具合で動作しない事例[4]も多く総務省と厚生労働省が共同事務局を担う「全国メディカルコントロール協議会連絡会」 (会長=小林國男・帝京平成大教授)が全国の消防機関を対象に実施した調査(2010年12月から2011年1月に実施)で、AED(自動体外式除細動器)の不具合が疑われた事例の報告が計328件あった[5]。奈良県では死亡事故も報告されている[6]))
AEDがまれに火災を起こすと主張(日本では実際には火災を起した前例は無いが、AEDのマニュアルでは、可燃性ガスや高濃度酸素がある環境では、爆発や火災を起こす危険性があるため、使用しないものとしている)。
フッ素洗口反対編集
虫歯予防のために進めるフッ素洗口についても、日弁連や日本消費者連盟とともにユニセフの見解等をふまえ、集団フッ素洗口に反対している。集団フッ素洗口実施の県では、虫歯の保有率が低いとの調査があるが、フッ素洗口そのものの効果ではなく、虫歯予防活動の啓蒙が強いことの影響が考えられるとしている。
竹島問題に関する見解編集
2008年11月28日に機関紙「北教」で、「竹島問題は韓国の主張が正しく、島根県などが竹島の領有権を求める行為は、日本の侵略・植民地支配を正当化する不当極まりないものである」と厳しく非難、2009年12月28日には朝鮮日報の取材に対し、昨年「韓国側の主張が正当だ」という学習資料を配付した北教組の信岡聡書記次長が「(独島が)明確に日本のものだと主張できるだけの根拠は発見できなかった。生徒の正しい判断を助けるため、われわれが判断したことを学習資料に盛り込んだ」「日本の竹島領有権主張は、(日露)戦争中に用途が生まれ、主張し始めたものだ。明確に日本の領土だと主張できるだけの(歴史的)根拠を探し出すことはできなかった」「日本の教育には、“近隣諸国条項”というものがある。教科書を叙述する際、教室で生徒たちに教える際、近隣の国に配慮しなければならない、という原則だ。まだ解決していない問題を教科書に載せることは、この原則から外れている」と語った。(韓国に領有権があるとは主張していない)
これら主張に対し、拓殖大学教授の下條正男は「竹島が韓国の領土で日本の領土でないという歴史的見解を示せ」という趣旨の公開質問状を示した[7]。また、維新政党・新風とも連携し[8]、北教組の竹島問題に関する見解など4項目からなる公開質問状を送付した。
国旗国歌強制の反対編集
2010年3月4日、産経新聞の報道により北教組日高支部において国旗・国歌の一方的な入学式や卒業式への実施に反対する立場から「『日の丸君が代』強制に反対するとりくみについて」という取り組みマニュアルを配布していたことが発覚[9]。同問題が国会で取り上げられ川端達夫文部科学大臣は「学習指導要領から国旗国歌を大事にと指導しており、北海道教育委員会と連携して指導する」と述べた[10]。また、産経新聞は、北教組日高支部が国会で批判した議員を呼び捨てにして批判する文書を配布したとし[11]、これを受けて自民党馳浩議員は国会でこの文書について「こういうのを蛙の面に小便というんです」と批判するなどして、北教組叩きに力を注いだ[12]。
ストライキ編集
特に1970年代から1980年代にかけて度々ストライキを実施しており、道教委から処分を受けている。処分を受けた一部組合員らは、「労働争議を禁じた地方公務員法は労働者の団体交渉権などを保障した憲法に違反している」として、処分の取り消しを求め提訴したものの、2006年7月8日、最高裁は「地方公務員の争議行為を禁じた地方公務員法の規定は違憲ではない」として訴えを退けている。その後、2008年には「政府が公務員にストライキ権を含む労働基本権を与えないのは条約違反だ」として、国際労働機関に提訴している。(ILOからは是正勧告が出されている[要出典])
1969年 - 組合員の教諭・事務職員53人がストライキを実施。戒告処分を受ける。
1977年5月19日 - 全1日ストライキを実施。北海道警察は当時の委員長ら幹部3人を地方公務員法違反で検挙。組合員約2万3000人が道教委から処分を受ける。
1981年 - 役員9人がストライキを実施。停職1か月の懲戒処分を受ける。
1984年 - 人事院勧告の早期完全実施を求め、2時間の「公務員共闘」統一ストライキを実施。
2001年 - 労使協定(四六協定)撤廃を巡り、29分間の時限ストライキを実施。
2008年 - 査定昇給制度導入などを巡り、1時間の時限ストライキを実施。約1万2700人が戒告または減給処分となった。
選挙運動編集
国政選挙への関与編集
「小林千代美」も参照
2009年の第45回衆議院議員総選挙において、民主党の小林千代美(北海道第5区選出)の選挙運動の中核となり、当選に大きく貢献した。2010年2月15日、本組合が「選挙対策費用」として小林陣営に1600万円を渡したことに関して、札幌地検が「政治資金規正法第21条違反の疑いがある」として、本組合本部や、選挙対策委員長を務めた本組合委員長代理の自宅マンションなどへのを家宅捜索をおこない[13]、3月1日には本組合の委員長代理、書記長、会計委員と財政局長の4名を逮捕した[14][15]。また、両罰規定により、団体としての本組合も起訴された[16]。しかしながら、献金した手続きが順当であれば、労働組合が政党や政党支部、政治資金管理団体に献金することは違法行為ではない。1600万円とされた金額自体も選挙資金としてみればごく少額である。微罪と受け取れる側面もあったが、札幌地検は50名もの係官を派遣し、適宜検察のリークもあって、マスコミはこの事件に飛びついた。一連の検察の動きに対し、民主党潰しとの見方もある[17]。これに対し本組合は「不当な組織弾圧」と表明し、事件には言及せず「外部からの問い合わせには一切答えないように」と道内支部に対しかん口令を敷いた[18]。
この事件に対して、北海道教育委員会は、教職員に加え保護者、住民に対して、北教組が教育公務員特例法に抵触する政治活動や学習指導要領に反する行為をしていないか、就業時間内に組合活動をしていないかなど多岐について情報提供を求める(公務員特例法に抵触しない政治活動について聞く項目もあった。北海道教育委員会・教職員の服務規程に関する調査報告参照)が、北教組は「政治的行為の自由を過度に規制するもので人権侵害。指導要領の徹底は教職員の思想・良心の自由、ひいては子どもの教育を受ける権利を侵害する」と反発し、道内の教職員計約6300人が北海道の4弁護士会に人権救済を申し立てた[19]。
四六協定維持闘争編集
1971年(昭和46年)に、北教組・道高教組(北海道高等学校教職員組合連合会)と道教委との間で結ばれた労使協定(通称・四六協定)は、「勤務条件にかかわるものはすべて交渉事項とする」「長期休業中の帰省の場合は自宅研修扱いとすること」などの教職員の立場を保全する文言が含まれていた。
2001年 - 道教委が違法性が高いと判断した大部分を破棄。それに抗議した北教組側はストライキを実施。
2007年 - 「道教委が全面破棄を検討 高橋知事も道教委を全面支持」と報道される[20]。
2008年 - 「四六協定破棄を道教委正式提示 北教組反発」と報じられる[21]。同年12月26日、道教委の吉田洋一教育長は「時間をかけ、誠意をもって交渉してきた。これ以上、議論を続けるのは難しい」と破棄を通告。北教組の住友肇委員長は、「不当通告に屈せず、協定は存在するという思いで、子供の側に立つ教育をしたい」と述べた[22]。翌12月27日失効。
2011年 - 「四六協定」の破棄を認めず、北教組は支部・支会・分会単位での権利保全を求める取り組みの継続を行っている。特に長期休業中の自宅研修、図書館での校外研修について、教育公務員特例法に定められた研修権を確立するため、研修の権利の承認を校長に求める取り組みを継続している。2011年度当初に実施された会計検査院の勤務実態調査は、研修場所を図書館としていた校外研修計画書・報告書の期日が図書館休館日であった事例があったことなどを明らかにした。研修報告が、教材研究など数行の記述であったり、成果物も本のコピー1枚であるなど、研修の実態を伴わないものがあったことから、勤務実態調査は、同年10月全道の悉皆調査へと移行した。しかし、会計検査院の報告では、不適切な研修であったのはごく一部であり、調査を行った会計検査院の職員は、千歳空港からタクシーの往復にて組合が強いとされた支部の職場に出向いて書類上のミスを点検しただけで、報告を済ませたとされている。これにより、学校現場に研修権行使に関する萎縮ムードが広がった。
起立時などの号令編集
1980年代においては起立時における「気をつけ」「休め」の号令を「石」「綿」という号令をしていたことがあった。その後保護者らによる教育委員会への是正措置を経て現在では「気をつけ」「休め」の号令が行われている。
自衛隊への認識編集
「教え子を再び戦場へ送らない」という原則と、日本国憲法第9条から、かつては自衛隊と軍隊はどう違うのか?と言う事を子供たちに考えさせている組合員もいた。自社さ連立政権時の村山元首相の自衛隊合憲表明を契機として、自衛隊の存在そのものを否定する見方はほとんど消失し、基地周辺の学校に勤務する組合員の多くは、様々な配慮をしながら教育活動を行っているとされている。
関連人物編集
横路節雄
池端清一
横路孝弘
鉢呂吉雄
池田隆一
小林千代美
脚注・出典編集
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^ 『朝日新聞・北海道版』2010年2月17日付
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