『サンポート高松港に、掃海母艦「ぶんご」が…』戦争が終わっても、機雷という爆弾に向かって来た人達。戦死者約80名






ミカエルです




大東亜戦争が終わってもなお、今生きてる爆弾と向き合ってきた方達…

殉職は、戦死と、言っても良いのではないでしょうか…





朝鮮戦争の頃、莫大な数の機雷、つまり、水中の爆弾が、まかれたそうです。


それを、回収しなくては、

海の航海はできなかった…


海上輸送は、不可能だったのです…



今も続く長い長い御苦労、本当にありがとうございました。


本当にありがとうございます。

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