『17人殺人で、無期懲役の中核派「吉野 雅邦(よしの まさくに)」浅間山荘事件の主犯の一人❗️』


沖縄で、私達の安倍総理に、怒号をあびせたのが、中核派❗️


中核派って、一言で言っても、今の私達には、
さっぱり、よく、わからないでしょうから、
エグザンプルとして、一人あげたいと思います…





吉野 雅邦
生年:1948年3月27日(67歳)まだ、生きています。留置場で…。
生地:東京都杉並区
活動:印旛沼事件、山岳ベース事件、あさま山荘事件ほか
所属:(中核派→)
(日共革左神奈川県委→)
(連合赤軍→)
無所属
投獄:千葉刑務所
裁判:無期懲役(控訴棄却)
吉野 雅邦(よしの まさくに、1948年3月27日 - )は、元新左翼運動家で連合赤軍の元幹部。




今、60代、70代の人が、昔の活動家です…

一見、オジサンだったり、おじいさんだったりするけど、
年寄りが、おとなしいとは、決して限らない❗️
毎週、いなかで、デモしてる層は、よくよく見ると、60代、70代❗️

それも、時々、御近所を恐怖に、落とし入れるほどの大音響で、
どう見たって、営業妨害…

紳士的な、恐怖感を与えないデモも、あります…。

まっとうなデモであるためには、デモが、乗っ取られないように、
見張る必要があります…




連合赤軍呼ばれる人達による『山岳ベース事件❗️❗️』2ヶ月足らずで、12人殺害❗️



事件発覚
そして3月、逮捕された連合赤軍メンバーの供述をきっかけに、事件の全貌が明らかになった。僅か2ヶ月足らずの間に同じグループ内で12人も殺害した凄惨極まりない事件は、社会に大きな衝撃を与えた。

あさま山荘事件終結後も、日本社会党の議員や左派系マスメディアの中には、連合赤軍を擁護する主張・言動を続けていた者が少なからず見られた。しかし、あさま山荘事件とその直後に発覚した山岳ベース事件の真相と連合赤軍の実態が明らかにされるにつれて、連合赤軍を擁護した者たちの面目と社会的信用は丸つぶれとなった。かくて、左派として行動・主張してきた者たちも悉く一斉に手の平を返し、赤軍を批判する側へと回っていった。

日本国内では、これまで左翼運動を否定的に見ていた人間はもちろん、左翼運動を好意的に見ていた人間も、この事件によって極左を嫌悪するようになっていった。それまで世論の一部に存在していた連合赤軍に同調する動きもまた、一気に冷却・縮小していった。

左翼党派の反応については、以下の通り。

日本共産党と革マル派
連合赤軍を強く非難。
日本共産党および革マル派は、元々自党派以外の左翼党派を全否定しており、連合赤軍についても当初より全否定していた。
日本共産党はこの事件を中国共産党批判に、革マル派は中核派批判に利用した。
日本共産党は、街宣車で連合赤軍を非難して回るなどした。
第四インター
連合赤軍を強く非難。
中核派
沈黙を守った。
毛沢東主義諸党派
ほぼ沈黙。
革命左派(連合赤軍の母体の一つ)
一連の事件を「反米愛国路線の放棄」と総括し、自分たちの指導に従わなかったのが原因だとした。
ブント系諸党派
発言と沈黙を繰り返した。
蜂起派
激しい議論が起こり、情況派等でも議論が交わされた。
RG派
一連の事件を新左翼全体に突きつけられた自分たち自身の問題とし、連合赤軍を支持した。
赤軍派(連合赤軍のもう一つの母体)
連赤総括を巡って激論が交わされ、分裂状態に陥った。
その後編集
残った連合赤軍メンバー17人は全員逮捕された。

1973年
1月に森恒夫が東京拘置所で首吊り自殺
1975年8月
坂東國男がクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放・国外逃亡。
現在も国際指名手配されている。
裁判で永田洋子と坂口弘は死刑、吉野雅邦は無期懲役が確定した。

永田は確定死刑囚として東京拘置所に収監されたが、2011年2月5日に脳腫瘍のために獄中死。
坂口は現在も確定死刑囚として東京拘置所に、吉野は千葉刑務所にそれぞれ収監されている。
※坂口の死刑が執行される見通しは立っていない(共犯者が逃亡中であり、その裁判が終了していないため)。

連合赤軍事件によって世論の新左翼に対する好意的な見方は一気に縮小したが、その後新左翼主流派は血で血を洗う内ゲバにのめり込んでいった。内ゲバの凄惨さは、質においても量においても連合赤軍事件をはるかに上回るまでになり、学生運動・新左翼運動は殺人と同義と見なされ世間から更に見放されるようになった。

一連の連合赤軍事件後、山岳ベース事件でのリンチ殺人については、元連合赤軍メンバー全員が何の正当性もない犯罪行為と捉えているものと思われる。連合赤軍事件の他にも多くの政治的過激派組織による殺人事件は発生しているが、殺人を犯した党派や実行犯は様々な理由をつけて自己正当化している場合がほとんどであり、当事者による事件の詳細な経緯の発表も当然行われておらず、事件の実態は闇の中となっている場合が多い。そのような中にあって、山岳ベース事件は事件を批判的に捉え返した詳細な記録が複数の当事者により発表されており、事件の実像に迫りやすいという点でも特異な事件である。

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