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迫る高潮、そのとき高松市民は
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不意突かれ何もできず
三十日から三十一日にかけて県内を襲った台風16号による高潮の猛威は、沿岸部の六市十二町、二万千六百戸以上をのみ込んだ。高松市内では乗用車が水没し男性が死亡したほか、民家から逃げ遅れたと見られる高齢女性が遺体で発見された。死者五人を出した台風15号による西中讃豪雨の悪夢からわずか十日あまりの惨事。長く災害から無縁で、危機意識も薄れがちだった防災体制の油断を突かれたともいえる。迫り来る高潮の恐怖の中で市民は何を思い、感じたのか。高松市の被災住民たちの生の声を基に、避難勧告のあり方や避難所の周知などの問題を検証するとともに、未曽有の被害をもたらした高潮のメカニズムを追った。
避難勧告=後手に回った行政 現状は危険の事後追認
高松市の主な高潮被害状況
高松市の主な高潮被害状況
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独り暮らしの無職吉川房子さん(83)が犠牲になるなど、被害が大きかった高松市福岡町四丁目。しかし、市から避難勧告は出ていなかった。市の説明によると、状況を把握するための職員を派遣しておらず、市民から通報もなかったのが理由だという。が…。
「三十日午後十時十分すぎに水が出て、しばらくして市に連絡した」と証言するのは、同町の男性会社員。「そのとき、数人から状況を聞いたという口ぶりだったのに、なぜ避難勧告を出さなかったのか」。身近なところで犠牲者が出ただけに語気は荒い。
既に、別の地区に派遣した市職員の情報が水防本部内で途絶えていたことは判明している。それに加え、男性は「市民からの連絡に関しても、責任ある幹部に伝わらなかったのではないか」と不信感をあらわにする。
発令基準
そもそも避難勧告をめぐっては、市は▽現場に派遣した職員の情報▽市民の通報―に基づいて出すという方針しかない。ある市幹部も「発令の基準が明確とはいえない」と認めるのが実態だ。
今回問題になった市内部の情報伝達の不備は論外だが、市民の通報については仮に迅速に伝わったとしても、その時点で避難が困難な状況という可能性も低くはない。勧告が「危険の事後追認」になる仕組みでは意味がない。
地元の松島校区連合自治会長を務める熊康雄さん(68)は、「高齢者も余裕を持って避難できるタイミングで勧告を出してもらえれば」と切実に訴える。そのためには、予測に基づき先手を打てるよう、避難勧告の基準を確立することが急務だ。
周知方法
翻って、避難勧告が出た地区。「勧告が出たんを知らんかった。市からの連絡はないし、サイレンも聞いてない」とは、城東町で自治会長を務める角田朝則さん(57)。結局、勧告を知ったのは発令の二時間後、テレビを見てからだった。
北浜町の自営業植田浩三さん(39)も勧告を知らなかった一人。「発令当時、この辺りは広報車も走れない状況だった。勧告が行き届くようにしてほしい」と強調する。今回のように交通アクセスが遮断されて電話が不通となるケースも想定し、市はいかに周知方法を確保できるか。突き付けられた課題は重い。
ソフト面
ハード面の対応はどうか。「現行計画は今回ほどの高潮を想定しておらず、今後反映できるかも微妙ですね」。県が昨年十一月に策定した県海岸保全計画(二十カ年)について、県河川砂防課の担当者はこう明かす。
計画のベースは潮位一・九四メートルを記録した一九六一年九月の第二室戸台風で、今回はそれを約五十センチ上回った。反映すれば面的な整備となるため「膨大なコストと期間が必要」(県港湾課)で、景観や親水性、港湾機能も大幅に損なうという。
少なくとも当面はハードで守るのが困難だとすれば、行政の的確な避難勧告はもちろん、日ごろからの情報周知や官民挙げての危機意識などソフト面が問われる。災害への対応能力の低さを露呈し「全く油断していた」(増田市長)という現状のままでは、先はおぼつかない。
証言から=情報少なくいら立ち 車両通行で2次被害
押し寄せる高潮に行き場を失った車列が急きょ、Uターンして避難した=8月30日午後10時37分、高松市寿町
押し寄せる高潮に行き場を失った車列が急きょ、Uターンして避難した=8月30日午後10時37分、高松市寿町
避難所は
「学校が避難所に指定された。すぐに体育館を開放してほしい」
SOSを求める電話は突然、鳴り響いた。高松市瀬戸内町、浜ノ町の避難所となった日新小(瀬戸内町)。松山裕司教諭(44)にその連絡が入ったのは、三十日午後十一時を回ったころ。同地区に避難勧告が出され、二十分ほどが過ぎていた。
「学校が避難所に指定されるような場合、通常はあらかじめ職員が待機し、すぐ対応できるようにするんですが…」
松山教諭が学校に向かうころ、周辺は既に海。手前約三百メートルからは車で向かうのも困難で、くるぶしの上当たりまで水につかりながら、ひたすら歩いた。学校周辺は胸まで水がきており、流れも急。そのころ学校では、浜街道が冠水し、帰れなくなった牟礼町の男性と地元の男性が開門を待っていた。
運動場が約五十センチ、校舎一階のフロアもくるぶしまで床上浸水。激流の中の学校が避難所として開放されたのは、勧告が出てから五十分が経過していた。
同校体育館は一階がプール、二階が体育館アリーナ。二階は水没を免れたが、トイレがない。松山教諭は二人を二階の教室へ案内したという。
その日、学校へは何人かが訪れては、また家の様子が心配だと帰る人の出入りが数人あった。
動くべきか、どうか、情報がないことには判断できない。三十日午後十時ごろ、潮位の異常に気付いたという本町の無職男性(72)。「気象情報をテレビやラジオで迅速に流すべき。異常が分かった時点で、行政は自治会に連絡して、すべての世帯に連絡がつくようにせんと」。情報があるだけで、安心度は違ってくるという。
急な増水
「満潮まであと二時間あるのに、海はいつもの満潮時の高さ。あれ、これは変だな」
若者たちに人気の街・北浜alley(北浜町)で喫茶店を経営する女性(37)。潮位異常に気付いたのは、三十日午後九時五十分ごろだった。
「どのくらいまで潮位が上がるのか、想像できませんでした。それから五分ぐらいして、陸に海水が上がり始めたので、慌てて残っていたお客さまに声を掛けて帰ってもらった。そのとき、既に三十センチぐらい海が高くなっていて…。こんなに速く高くなるなんて思ってもいませんでした」
台風はコースを外れ、風雨も強くない。ほんの数分前までは普段と変わらなかった店内。スタッフは車を避難させ、台風情報を見ながら、ひたすら二階の店内で潮が引くのを待つことになった。三十一日午前三時ごろ、ようやくひと安心。避難勧告の知らせは、この店には届かなかった。
北浜町で異変が起きていたころ、高松市総合体育館近くの福岡町四丁目でも水位の変化が起きていた。近くに住む男性は証言する。
「三十日午後十時十五分ごろには床下まで水があり、それから三十分ぐらいで床上四十センチ。あと二時間ほどで二十センチ上がった」
交通規制
「ごう音とともに激しい勢いで波が来て、玄関のドアのアルミを突き破った」。三十一日未明に発生した「二次災害」を証言するのは、松福町一丁目の無職大熊敏夫さん(76)。その衝撃で石垣が崩れたほか、大量のごみが流れ込んで家財を破損させた。
もともとの水流には、それほどのパワーはなかった。浸水でショックを受けた被災者に追い打ちをかけた原因は、幹線道を走った大型トラックなどが起こした波だった。
大熊さんは「通行止めの措置があればここまでひどくならんかったのに…」と嘆く。近くの無職男性(73)も「近所の人が連絡して止まったと聞くが、三十一日午前二時すぎまでは大きな車が通ってた。何で対応がそんなに遅いんや」と怒りが冷めない様子だった。
夜が明けると、被災地を複数の四輪駆動車などがスピードを出して走った。後片付けをしていて波をかぶった福岡町四丁目の女性は、「若者が面白がって走っていた。どういう神経をしているのか」とため息を漏らす。市職員も現場に居合わせたが、抑止しようとしても突き切られたという。
なぜ潮位上がったか=「吹き寄せ」予測超える
台風16号の経路と潮位
台風16号の経路と潮位
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県内沿岸部の二万一千戸以上をのみ込んだ高潮被害は、夏の大潮の満潮時と台風16号の通過が重なったためとされる。確かに三十日は満月。月の満ち欠けによって潮の干満が起きることは、習ったことがある。でも、市街を水没させる高潮とは一体どんなメカニズムで起き、何が今回の大被害をもたらせたのだろう。
基準は東京湾
潮位の基準になっているのが東京湾平均海面(TP)。標高の基準にもなっていて海抜ゼロメートルともいう。海面は月の運行に伴って、通常一日二回の満潮、干潮を繰り返す。それを過去十年のデータを基に、前もって計算したのが推算潮位(天文潮位)で、潮位表などで見ることができる。
この推算潮位と実測潮位との間に生まれる差が潮位偏差と呼ばれ、いわば異常の度合いを示す尺度となる。今回の台風16号による最大潮位偏差は高松で百三十三センチ(三十日午後十時二十三分)、TP上の最高潮位は二百四十六センチ(同、午後十時四十二分)を記録した。最高潮位二百四十六センチは高松での観測開始以来の極値を示した。
高潮を招く台風による影響は、吸い上げ効果と吹き寄せ効果と言われる。吸い上げ効果は、気圧降下が海面を持ち上げる現象で、気圧が一ヘクトパスカル低いと海面は約一センチ上昇する。吹き寄せ効果は、沖から海岸へ向けて吹く強風が海面を上昇させる現象で、風速の二乗に比例して高くなり、風速が二倍になれば海面上昇は四倍になるとされている。
吸い上げ、吹き寄せの両効果は今回も当てはまるが、高松地方気象台は、さらに多くの要因が加わったと指摘する。
一年で最も潮位が高くなる夏の大潮という要因のほかに、今年の猛暑による海水温の高さや黒潮の蛇行もあり、三十日の潮位は平年より約十―十五センチ高い状況だった。同気象台は、そこに台風の進路、気圧、風速と大潮の満潮時の要素を加味して最高潮位を二百二十センチと予測した。
26センチの誤差
しかし、予測を超えた要素が加わった。
「瀬戸内海の特殊な地形が吹き寄せを増幅し、東西から挟み撃ちする形になった」と話すのは同気象台の安芸忠司気象情報官。台風の中心が鳥取県を通過したころ、紀伊水道では南風、豊後水道では南西の強風が吹き、瀬戸内海へ大量の海水を送り込んだため、瀬戸内海の中央部で予想外の潮位を示したと分析する。高松港の対岸の宇野港も観測以来の極値となる最高潮位二百五十五センチを記録していることからも、裏付けられる=図参照。
二十六センチの誤差については、徳島付近で最大瞬間風速が五十メートルを超すなど、風による吹き寄せが予測を大きく上回ったためと説明する。
津波への教訓
今回の最高潮位、二百四十六センチという数字は大きな意味を持つ。東南海・南海地震が起き、津波と満潮が重なった場合を想定した最大津波水位二百四十センチとほぼ一致するからだ。今回の浸水経験を教訓に、行政、住民がハード、ソフト両面の万全の態勢づくりをする契機とすべきだ。
六車禎貴、佐竹圭一、山下和彦、岩部芳樹が担当しました。
(2004年9月5日四国新聞掲載)
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