張作霖に関しては、日本人みせかけて、ロシア工作員が、やったっていう説もあるから…そこに、拘泥する前に…


日本軍の進軍を、歓喜して、喜んだ民衆…

拷問と、搾取の、張作霖…

こんなひどい政治なら、日本軍の進軍は、やむ無しだっ…



今のNATO軍…のような物…



中国では、政府は、民衆から、搾取する存在だった…

そこを、今の人達も、感じながら、話さないといけない…







有栖川三十郎さんの日記からコピペ



なんで、満州事変が成功したのか?

関東軍の暴走だとしても、国を作っちゃうようなことが勝手にできちゃったのか?

そこに至る石原莞爾の見解というのがある。

当時のフランス武官ボリューズ少将に戦力比での奇跡的な勝利についての問いについての石原莞爾の弁

「日本軍のうち関東軍というのは、それは強かった。日本軍のなかでも一騎当千の最精鋭部隊、しかも満州事変の前夜は、情勢逼迫を受けて、猛烈な訓練で鍛えられていた。一方で、支那軍は二十数万といったところで匪賊の集団みたいなもの戦力の上でとても比較にならない」、

スウェーデンのウグラ中佐による満州国の事変後の安定について

「満州事変勃発以前の満州は実にひどい状態であった。張学良の悪政があるし、治安は乱れて匪賊は横行するし、本当に住民は苦しんでいた。それが最近になって治安もよくなるし、住民の生活も安定してきた」

 張学良は、その評価は、いろいろあって、ものすごく複雑な人物であることは間違いない。だから、一般的に日本では張学良の親、張作霖は悪政だったっていう話で通っている。まあ、張作霖が悪い人間だったっていうより、その部下が悪かったのかもしれないけど。ただ張学良はどうだったか。
 これについては西安事件。どうも、日本憎しで、行われたように見える張学良による蒋介石の軟禁を見ると、私怨を晴らすために大義を忘れるタイプだったような気がする。私怨を晴らすために手を握る相手であるべき日本と倒すべき中国共産党を、まったく逆に取り扱った。
 私怨を晴らすためには、他人、ましてや住民の幸せとか、国家の繁栄なんてことなんか考えずに悪政を敷いていたんだろうっていうことが想像できるわけだ。

 満州事変の伏線としては張作霖の悪政ってのがまずあって、あとはロシアや中国の勢力関係があって、で、石原莞爾の話とか、張学良の私怨的で貴族的な性格を考えると、どうも、張学良ってのは、まあ、いろいろあったんだろうなあと思うのだ。

 これから、このブログのアクセス数が増えることを考えると、いろいろと慎重にしなきゃなのかなって感じで、今日のところはこのへんで・・・。

 ということで、今日は眠たいので眠ります。

2010年7月22日 (木) 08時38分 | 固定リンク




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