『敷島の日記』よりコピペ、長崎で、けしからん韓国の石碑‼️
2015年11月10日 アニメ・マンガhttp://w-shikishima.jugem.jp/
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さて、精査しよう。
その1
「1万人とも言われる同胞の生命を一瞬にして奪った。」
長崎原爆における朝鮮人の死亡者・被爆者の数は長崎市を含めて正確な統計がない。
当時の朝鮮人は通名を使い、所在に不明な部分が多いため、原爆資料館にも3つの説
が併記されている。
「朝鮮人の人権を守る市民の会」などはサヨクの典型的な世論形成の方法として、
自らの書籍を発行してまで意見を通そうとする。
被爆者の数に関しては精査されていない上に、誰が北か南か、本人たちも分からない
状態であろう。重複して数える危険性も踏まえ、あやふやな数字を明記させるべきで
はない。
余談だが、証拠もないのに「被爆者」を騙ろうとする輩も少なからず存在するのだ。
私が幼いころの思い出だが、食堂を営んでいた両親の店に来た男性(一現客)が、
「おれは原爆の時、長崎駅前にいて被曝したんだ。だから証人になってくれないか?」
と頼んでいた事を覚えている。両親は頑なに拒んだ。
男性が帰ったあと、
私が母に「かわいそかたい。証人になってやればよかとに・・・」といった。
母は「あの人は知らん人やし、簡単に嘘ばついたらいかんと。
それにあの人は日本人じゃなかばい・・・。」と言い捨てた事を覚えている。
終戦直後、朝鮮進駐軍に実家を襲撃された経験を持つ母は、言葉の訛りなどで
敏感に感じ取ったのだろう。
昨今、長崎市は証人がいない韓国人の被爆者手帳を認めたばかりだ。
日本人には認めず、韓国人には認める長崎市の弱腰には心底呆れ果てる。
その2
「わが国は1945年8月15日までの35年間にわたって日本の統治下にあった。」
わが国=韓国という国は当時、影も形もなく、韓国の成立は1948年である。
さらに、正式には日本からの独立ではなくアメリカ軍政からの独立である。
このような表記は日韓併合の前から韓国があったと思い込みたい彼等の妄想である。
もちろん日韓基本条約において、日本は韓国を日韓併合前の大韓帝国の正式な
後継政府と認め、朝鮮半島唯一の政府として、個人賠償を含めた莫大な経済援助
を行ない、日韓における諸問題は完全かつ最終的に解決したのである。
このような妄想は、絶対に書かせるべきではない。
その3
「太平洋戦争に突入するに従い、それまでの生活型居住者に加えて、
労働者あるいは軍人・軍属として徴用・動員された若き同胞が増え・・・」
この辺は非常に注意を要する。
まず、「生活型居住者」とは今回はじめて使われた造語である。
今までどこにも出てきていない全く新しい言葉であり、
長崎市はこの曖昧な表現に大いに注意をすべきだろう。
次に
「労働者あるいは軍人・軍属として徴用・動員された同胞・・・」
この部分は非常に興味深い。おそらくこれも初めての言葉だろう。
そもそも、彼等が使う「強制連行、強制徴用」などというものは身勝手な言葉であり、
国家の存亡を掛けた戦時下において、日本人は労働者・軍人・軍属として徴用・動員される
のは「国民の義務」として当たり前であった。
今回、「当時の朝鮮人も労働者・軍人・軍属として徴用・動員された」ということは・・・
「当時の朝鮮人は日本人であった」と書いているのである。
この文章だけで、今までの強制連行・強制動員・強制徴用の主張がすべて崩れ去る。
この文章は韓国自らが「日韓併合を認めた」証拠である。
平和公園に慰霊碑なるものを建立したいばっかりに、
度重なる嘘のうわ塗りを重ね、自らがとうとう理論破綻してしまった・・・。
「やっちゃったな・・・オイ・・・」
「勝利宣言」を出してもいいくらいであるが、勝ちほこるような神経は持ち合わせていない。
もともと彼等もわかっていたことであり、今まで屁理屈を捏ねていただけのこと。
後ろ向きに歩くのではなく、前向きに歩くべきだ。
これは、すべての南北朝鮮人、在日南北朝鮮人に対する心からの忠告である。
その他にも、
「誰もが、過酷な状況を懸命に生き抜きながら・・・」
↑半島出身者だけではない。当時の日本人はすべからくそうであった。
「異郷で悲惨にも生涯を閉じた同胞たちの無念はいかばかりか・・・」
↑悪いのは米国の原爆投下である。距離の差はあれ、日本人も徴用・動員にて同じ待遇。
「祖国分断の影響はここにも及び~紆余曲折があった」
↑紆余曲折は南と北との関係。朝鮮人の碑はあるのだから、当時存在しな
かった韓国人の碑を建立することはもっと混乱させることになる。
平和公園の趣旨にはまったく関係ない事柄であり、書かせるべきではない。
「私達は慰霊碑を前に犠牲同胞の冥福を祈り続けることを誓い~」
↑原爆で爆死した人は誰ひとりとして「韓国人」という国籍はない。
同胞=朝鮮人なのであれば朝鮮人の碑があるではないか?
南北の和と統一を、そこから始めればよいではないか?
「祖国の分断云々」を嘆く前に自らがその分断を演出しているという
滑稽さに気づくべきではないだろうか?
などなど突っ込みどころは満載の案内文である。
突然わが町に降って湧いた韓国人の慰霊碑建立騒動。
日頃、長崎の保守を気取る人たちもまったく動かなかったことに唖然としたのも
事実である。誰も動かない以上、黙って見過ごすわけには行かなかった。
仲間の協力を得て、ここまで連中を追い詰め、平和公園に建てる慰霊碑のあり方
について長崎市の姿勢を糺した。
私は、慰霊碑そのものに反対しているのではない。
それを建てる人間の「心のあり方」とは、常に正しきものでなければならないと
申してきた。
この碑を建てんと画策している者たちに、私は何度でも言おう。
「ここは原爆という大量殺戮兵器を使った人類が、最後の被爆地として、永遠に
祈念されるべき場所である。
あの業火に焼かれた人々は人種、性別、国籍を問わず、平等に慰霊されなけれ
ばならない。
個別の人種の慰霊碑を建て、強制労働や差別意識を植え付け、
”和解と親善”という名のもとに日本に戦争責任を背負わせる場所ではないのだ。」
長崎市は平和公園の存在意義をもう一度考え、石碑の建立を約束したからとか、
「韓国の国家がそういうことをするはずがない。」と「性善説」に基づいて許可を
するべきではない。
ここは、公共の土地なのだから・・・。
※全国の皆さんに、ぜひ長崎市への電凸、凸FAX、凸メール、凸はがき、直接凸、
ありとあらゆる方法での抗議をお願いします。
ただし、電話では礼節を重んじ、激高したり乱暴な口調はお控えください。
役所の方も人間です。m(_ _)m
短くでも結構です。「断固反対」と固い決意をお伝え下さい。
連絡先は下記の通りです。
所在地 〒850-0028 長崎市桜町6-3(別館4階)みどりの課
電話番号 095-829-1171
ファクス番号 095-829-1235
メールアドレス midorinoka@city.nagasaki.lg.jp
あじさいコール 095-822-8888(取り次ぎ、「みどりの課お願いします」)
できるだけたくさんの抗議の声を届けたいと思います。
休みの場合はFAXやメールやはがきでご協力ください。
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その1
「1万人とも言われる同胞の生命を一瞬にして奪った。」
長崎原爆における朝鮮人の死亡者・被爆者の数は長崎市を含めて正確な統計がない。
当時の朝鮮人は通名を使い、所在に不明な部分が多いため、原爆資料館にも3つの説
が併記されている。
「朝鮮人の人権を守る市民の会」などはサヨクの典型的な世論形成の方法として、
自らの書籍を発行してまで意見を通そうとする。
被爆者の数に関しては精査されていない上に、誰が北か南か、本人たちも分からない
状態であろう。重複して数える危険性も踏まえ、あやふやな数字を明記させるべきで
はない。
余談だが、証拠もないのに「被爆者」を騙ろうとする輩も少なからず存在するのだ。
私が幼いころの思い出だが、食堂を営んでいた両親の店に来た男性(一現客)が、
「おれは原爆の時、長崎駅前にいて被曝したんだ。だから証人になってくれないか?」
と頼んでいた事を覚えている。両親は頑なに拒んだ。
男性が帰ったあと、
私が母に「かわいそかたい。証人になってやればよかとに・・・」といった。
母は「あの人は知らん人やし、簡単に嘘ばついたらいかんと。
それにあの人は日本人じゃなかばい・・・。」と言い捨てた事を覚えている。
終戦直後、朝鮮進駐軍に実家を襲撃された経験を持つ母は、言葉の訛りなどで
敏感に感じ取ったのだろう。
昨今、長崎市は証人がいない韓国人の被爆者手帳を認めたばかりだ。
日本人には認めず、韓国人には認める長崎市の弱腰には心底呆れ果てる。
その2
「わが国は1945年8月15日までの35年間にわたって日本の統治下にあった。」
わが国=韓国という国は当時、影も形もなく、韓国の成立は1948年である。
さらに、正式には日本からの独立ではなくアメリカ軍政からの独立である。
このような表記は日韓併合の前から韓国があったと思い込みたい彼等の妄想である。
もちろん日韓基本条約において、日本は韓国を日韓併合前の大韓帝国の正式な
後継政府と認め、朝鮮半島唯一の政府として、個人賠償を含めた莫大な経済援助
を行ない、日韓における諸問題は完全かつ最終的に解決したのである。
このような妄想は、絶対に書かせるべきではない。
その3
「太平洋戦争に突入するに従い、それまでの生活型居住者に加えて、
労働者あるいは軍人・軍属として徴用・動員された若き同胞が増え・・・」
この辺は非常に注意を要する。
まず、「生活型居住者」とは今回はじめて使われた造語である。
今までどこにも出てきていない全く新しい言葉であり、
長崎市はこの曖昧な表現に大いに注意をすべきだろう。
次に
「労働者あるいは軍人・軍属として徴用・動員された同胞・・・」
この部分は非常に興味深い。おそらくこれも初めての言葉だろう。
そもそも、彼等が使う「強制連行、強制徴用」などというものは身勝手な言葉であり、
国家の存亡を掛けた戦時下において、日本人は労働者・軍人・軍属として徴用・動員される
のは「国民の義務」として当たり前であった。
今回、「当時の朝鮮人も労働者・軍人・軍属として徴用・動員された」ということは・・・
「当時の朝鮮人は日本人であった」と書いているのである。
この文章だけで、今までの強制連行・強制動員・強制徴用の主張がすべて崩れ去る。
この文章は韓国自らが「日韓併合を認めた」証拠である。
平和公園に慰霊碑なるものを建立したいばっかりに、
度重なる嘘のうわ塗りを重ね、自らがとうとう理論破綻してしまった・・・。
「やっちゃったな・・・オイ・・・」
「勝利宣言」を出してもいいくらいであるが、勝ちほこるような神経は持ち合わせていない。
もともと彼等もわかっていたことであり、今まで屁理屈を捏ねていただけのこと。
後ろ向きに歩くのではなく、前向きに歩くべきだ。
これは、すべての南北朝鮮人、在日南北朝鮮人に対する心からの忠告である。
その他にも、
「誰もが、過酷な状況を懸命に生き抜きながら・・・」
↑半島出身者だけではない。当時の日本人はすべからくそうであった。
「異郷で悲惨にも生涯を閉じた同胞たちの無念はいかばかりか・・・」
↑悪いのは米国の原爆投下である。距離の差はあれ、日本人も徴用・動員にて同じ待遇。
「祖国分断の影響はここにも及び~紆余曲折があった」
↑紆余曲折は南と北との関係。朝鮮人の碑はあるのだから、当時存在しな
かった韓国人の碑を建立することはもっと混乱させることになる。
平和公園の趣旨にはまったく関係ない事柄であり、書かせるべきではない。
「私達は慰霊碑を前に犠牲同胞の冥福を祈り続けることを誓い~」
↑原爆で爆死した人は誰ひとりとして「韓国人」という国籍はない。
同胞=朝鮮人なのであれば朝鮮人の碑があるではないか?
南北の和と統一を、そこから始めればよいではないか?
「祖国の分断云々」を嘆く前に自らがその分断を演出しているという
滑稽さに気づくべきではないだろうか?
などなど突っ込みどころは満載の案内文である。
突然わが町に降って湧いた韓国人の慰霊碑建立騒動。
日頃、長崎の保守を気取る人たちもまったく動かなかったことに唖然としたのも
事実である。誰も動かない以上、黙って見過ごすわけには行かなかった。
仲間の協力を得て、ここまで連中を追い詰め、平和公園に建てる慰霊碑のあり方
について長崎市の姿勢を糺した。
私は、慰霊碑そのものに反対しているのではない。
それを建てる人間の「心のあり方」とは、常に正しきものでなければならないと
申してきた。
この碑を建てんと画策している者たちに、私は何度でも言おう。
「ここは原爆という大量殺戮兵器を使った人類が、最後の被爆地として、永遠に
祈念されるべき場所である。
あの業火に焼かれた人々は人種、性別、国籍を問わず、平等に慰霊されなけれ
ばならない。
個別の人種の慰霊碑を建て、強制労働や差別意識を植え付け、
”和解と親善”という名のもとに日本に戦争責任を背負わせる場所ではないのだ。」
長崎市は平和公園の存在意義をもう一度考え、石碑の建立を約束したからとか、
「韓国の国家がそういうことをするはずがない。」と「性善説」に基づいて許可を
するべきではない。
ここは、公共の土地なのだから・・・。
※全国の皆さんに、ぜひ長崎市への電凸、凸FAX、凸メール、凸はがき、直接凸、
ありとあらゆる方法での抗議をお願いします。
ただし、電話では礼節を重んじ、激高したり乱暴な口調はお控えください。
役所の方も人間です。m(_ _)m
短くでも結構です。「断固反対」と固い決意をお伝え下さい。
連絡先は下記の通りです。
所在地 〒850-0028 長崎市桜町6-3(別館4階)みどりの課
電話番号 095-829-1171
ファクス番号 095-829-1235
メールアドレス midorinoka@city.nagasaki.lg.jp
あじさいコール 095-822-8888(取り次ぎ、「みどりの課お願いします」)
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