『江戸時代250年間、全国の人達が、初めて四国に降り立つ場所は、さぬきの国でした…』







ミカエルです



あれは、どこに書いてあったのか、


漫画『忘却のサチコ』だったかしら…



あの長い長い武家政治の江戸時代250年間、庶民が旅行を、許されたのは、

ただ1つ‼️


お伊勢参りと…金比羅詣で‼️


それは、一生一度の晴れ姿だったか、


折れた心を癒す旅だったか、分からないけど…



家族にも、見捨てられ、
仲間には、裏切られ、
近所には、村八分にされ、
どこにも行く場所が、無かったその時に、
訪れる四国で、最初に迎えるのが、さぬきの国…






人口が、どこの町が大きいか…
それは、足し算でしか、ありません
線引きでしかありません、地方では、
どこどこで、線を引くかで、みかけの人口は、変わるのだ…


正直、人口100万人の香川では、新居浜や、西条の方に協力して頂いて、香川になって、頂けなくては、香川中が、高松になってしまう恐れがあるので、
再編に、力を入れる事が難しかったのです…。



けけど、アタシ達の香川は、たいした物で、
水道事業を、1つにしました^_^

農協も、ただ、1つにしました^_^

高松も、定住都市として、50万人を、超えました。

宇宙研究も、安定しています。

ロボットが、大好きな学生も豊富です^_^



今のオジイチャンの時代、香川には、お金持ちという物は存在しませんでした、
香川の経済を支えたのは、徳島のお金持ち、愛媛のお金持ち…
高知のお金持ちも、何処かに来て下さってたのかもしれない…
ウチの親戚は、西に偏ってるから、分からなかっただけで…

そんな中で、爪に火を灯すように、ため池を、作り、貧しさと戦いながら、
大勢を、海外や、他県に送り出しながら、

瀬戸大橋が、かかって、いったん、支店経済が壊滅した後を乗り越えて、
東京23区よりも収入が良くて、貯蓄が多くて…
それは、きっと、一握りのお金持ちに、資産が固まらず、うまく、分配できてるから、全然、目立たないだ、きっと^_^


丸亀町グリーンに、森ビルさんは、億ション、作りたかったそうですけど、
地元の人が買えないからと、普通の値段のマンションになったそうです、
もしも、億ションになってたら、街の住宅は、確かに暴騰したかもしれません。

元々、地下の高騰で、町に人が住めなくなったのが、
若い人が、若い頭脳が、若き経営者が、住めなくなった、いなくなったのが、

街の地盤沈下だったかもしれません…



さて、話は戻って、全国で唯一の旅行先だった事を思うと、
そこには、全国からの情報、技術、作物の種の蓄積が、実は当時からあった可能性があります…

水が無くて、米のかわりにウドン‼️だったかもしれないけど…


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