プロ入り前
石川県七尾市(旧田鶴浜町)出身。「子どもをプロ野球選手に」という強固な信念を持った父親の下、幼少期から野球の英才教育を受ける[1][2]。日本航空第二高等学校では甲子園出場経験はなく、3年の夏は県予選3回戦で敗退。

高知時代編集
2006年に四国アイランドリーグの高知ファイティングドッグスへ入団すると、1年目の高卒入団でありながら開幕試合から1番打者で先発起用された。既に首脳陣からの評価は高く、当時監督だった藤城和明は角中を「実戦向きの選手」と評した。2006年シーズンは主にクリーンアップを任され、打率.253・4本塁打・28打点を記録するなど、勝負所ではパンチ力のある打撃を披露した。また、ウエスタン・リーグに所属するチームとの交流戦にも選出され、日本プロ野球のスカウトからも持ち前の俊足とミートセンスを評価された。

2006年のドラフト会議において、千葉ロッテマリーンズから7巡目で指名を受け、入団[3]。与えられた背番号61について「(独立リーグの)高知では9を付けていた。ロッテの9は福浦さん。今は無理だけど、いつかは9を付けられるように頑張りたいです」と抱負を語っている。

ロッテ時代編集
2007年
7月24日に一軍初登録され、その日の対福岡ソフトバンクホークス戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)で一軍初出場を2番・中堅手で果たした。
この年の一軍は打率.235に終わるなどレベルの高さを痛感したが、イースタン・リーグではリーグ2位となる打率.335を記録するなど、好成績を残した。また、二塁打が19本(イースタン・リーグ3位)を記録し、高打率の中距離打者として目標としている福浦と似たタイプの選手に成長した。
2008年
4月16日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(千葉マリンスタジアム)でプロ初本塁打を記録。この本塁打は四国アイランドリーグからプロ野球へ入団した選手として初の公式戦本塁打となった。しかしわずか10試合の出場に終わった。
2009年
この年も10試合の出場に終わった。
2010年
13試合の出場に終わり、さらに23打席立ったものの1安打も打てずシーズンを終了した。
2011年
交流戦直前に一軍昇格するも、2試合に出場しただけですぐ降格となった。その後、同年7月30日から8月6日にかけてイースタン・リーグ記録タイとなる11打席連続出塁の記録を樹立するなど、出塁率.423の成績を残してイースタン・リーグ最高出塁率を獲得した。同年8月12日に再昇格すると、同年8月21日の対埼玉西武ライオンズ戦でシーズン初安打、同年8月28日は5安打を記録するなど好調な打撃を見せ、一気に外野の一角に定着した。この年は指名打者での出場や、3番・5番を任されるなど打線の中軸として活躍、最終的には自己最多の出場試合数を得て、打率.266の成績を残した。
2012年
4月14日にジョシュ・ホワイトセルと入れ替わって昇格すると、同年4月21日の対埼玉西武ライオンズ戦(QVCマリンフィールド)から角中が打点を挙げた試合は13連勝と勢いに乗り、チームのシーズン序盤を牽引。その勢いは交流戦でも止まらず交流戦首位打者を獲得し、独立リーグ出身者として初のオールスターゲームに選出される[4]。2012年の首位打者争いは、角中と中島裕之(埼玉西武ライオンズ)が牽引していた。中島は夏場に調子を上げて打率.330に乗せ、秋まで好調を維持して一時は他の打者に3分近い差をつけていたが、9月に入って左脇腹を痛め、打率.310台まで急降下、さらに9月27日からは欠場する。一方、調子を落として一時は打率3割を切った角中は、秋から復調して1ヶ月で1分近く打率を上げていた。迎えた10月1日・2日の対西武戦で2試合連続の猛打賞を記録して中島の打率を上回り、首位打者に躍り出た。首位打者の座から陥落した中島は10月6日の対ロッテ戦で先発出場するも、監督の西村徳文はこの試合で角中を欠場させ、先発投手の藤岡貴裕に中島を敬遠するよう指示した。中島は抗議の意であえて空振りした[5]。角中は、首位打者を取らせてくれようとした西村に対し「自分のために嫌われ役になってくれて、ありがたい」とコメントしている[6]。中島は10月7日の対オリックス戦にも先発出場したが、前述の脇腹痛によって無安打に終わり、角中の首位打者が確定した。中島は「おめでとうと言いたい」と角中の首位打者獲得を称えるコメントを出した[7]。
128試合に出場し、独立リーグ出身者として初の規定打席到達を果たしたほか、打率.312で公式戦首位打者のタイトルを獲得した[8]。石川県出身のプロ野球選手としては松井秀喜以来の首位打者であった[9]。また、独立リーグ出身者としては初めてベストナインにも選ばれ、大きな飛躍の一年となった。
オフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[10]代表入りした[11]。
ファン感謝祭では足湯温泉「角中の湯」をプロデュース。白子温泉からの本物の温泉を足湯に使用し、ファンとの交流を楽しんだ[12]。
契約更改では3200万円増の年俸4200万円(推定)でサインした[13]。
12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され[14]候補入りした[15]。
2013年
1月27日、4歳年上の女性との結婚を発表[16]。
2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され[17]代表入りした[18][19]。
シーズンでは、開幕戦に2番左翼手としてスタメン出場し、延長12回にサヨナラ犠牲フライを放った。前年に引き続いてレギュラーとして起用され、3割には到達しなかったもののチームの3年ぶりのAクラスに貢献した。シーズン終盤は腰痛で登録抹消されるものの,クライマックスシリーズでは痛み止めを服用して強行出場した[20]。
2014年
打率.277と前年より打率は下回ったが自己最多の8本塁打を記録した。
2015年
3番、5番、2番といろいろな打順を経験した。打率は.293と前年より上げたが、3割を切る結果となった。
チームがクライマックスシリーズへ向け戦うなか9月3日、吉川光夫から死球を受け、指を骨折。翌日に登録抹消となりチームとしてはとても痛い状況になったが、結局クライマックスシリーズの試合には出場。ファーストステージ突破に貢献した。
2016年
シーズン序盤から3番を任される。シーズン終盤には4番のアルフレド・デスパイネの怪我により4番を任されることもあった。最終的に打率.339、178安打を残し、自身2度目の首位打者、自身初の最多安打を獲得した。打率2位に2分5厘以上の大差をつけたのは、パ・リーグでは2000年にイチローが5分5厘の差をつけて以来16年振り。また、球団史上では1960年に榎本喜八が同僚の田宮謙次郎に2分7厘差をつけて以来56年ぶり2人目であった[21]。
8月23日からはQVCマリンフィールドで本人とサントリーウイスキー角瓶がコラボした角中ハイボールが発売された。同年11月10日~13日に行われる侍ジャパン強化試合には、候補として挙がるも、選出されなかった。2017年から、前年までサブローが背負っていた背番号3に変更することが決まった。
選手としての特徴編集

打撃編集

打撃フォーム
バットを短く持ち、重心の低い構えからのコンパクトなスイングで安打を放つ[22]。大島康徳からは「コンパクトな構えからの巧みなバットコントロールが際立つ巧打者」と評されている[23]。身体に近いポイントにボールを呼び込み緩急に対応し[24]、2ストライクからはノーステップ打法に切り替える等追い込まれてからの打撃にも長ける[25]。悪球打ちが得意でワンバウンドするような球、高めのボール球をヒットにしたりする。2016年の広島東洋カープ戦では顔面に向かってくる球を打ちヒットにするという場面もあった。

ロッテ入団当初は左投手を苦手としていたが[22]、2011年から2012年は通算対左打率.316と克服し、左右の違いを苦にしなくなった[26]。外角も苦手としていた[27]一方で内角に強く、「首で打つ」という意識で内角球に対応しているという[22]。パワーヒッターではないものの2012年からのレギュラー定着後は3番や5番などのクリーンナップで起用されることもある。

守備・走塁編集
走塁面では一塁到達3.97秒を記録する俊足を備える[28]。また、観察力と判断力にも優れており、2013年には中飛で二塁からタッチアップしホームイン[29]したり、自身が一塁走者の際二塁打で100%生還(本塁アウトや三塁ストップもなし)するなど走塁面で生かされている[30]。

守備では主に左翼手と右翼手で起用され、遠投110メートルの強肩から繰り出すロングスローを持ち味とし[31]、2013年にはリーグ最多の補殺数をマークした。ロッテ入団時には当時スカウトを務めていた黒木純司から「肩はマリーンズで5本の指に入る」と言われた[32]。2012年には左翼手リーグ2位のRF2.20を残した[22]。

人物編集

アイランドリーグ時代から「絶対にプロに行くと決めていたから苦労とは思わなかった」という努力家で、夜でも近所の公園でバットを振ってきていたという[33]。当時の主食はファーストフード(主にハンバーガー・牛丼)だったと言い、プロで活躍するようになった後も「今も変わらない」と語っている[34]。

アイランドリーグ時代は中村紀洋から提供されたバットを使用していた。中村は森山一人が近鉄時代の同僚だった縁から、用具を大量に高知ファイティングドッグスに提供していた[35]。

人見知りするタイプだと言い、ヒーローインタビューも「試合より緊張する」と語っている
2016年度シーズン終了時
各年度の太字はリーグ最高
年度別守備成績編集

度外野
試合刺殺補殺失策併殺守備率
2007981001.000
2008914010.933
2009717110.947
2010881001.000
20112450211.981
2012126247610.996
2013124255981.971
2014122227611.996
2015111172741.978
通算54099833174.984
2015年度シーズン終了時
各年度の太字はリーグ最高
タイトル編集
NPB
首位打者:2回 (2012年、2016年)
最多安打:1回 (2016年)
表彰編集
NPB
ベストナイン:2回 (外野手部門:2012年、2016年)
JA全農Go・Go賞:1回 (最多二・三塁打賞:2012年8月)
その他
石川県スポーツ特別賞(2016年)[36]
記録編集
NPB初記録
初出場・初先発出場:2007年7月24日、対福岡ソフトバンクホークス14回戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)、2番・中堅手で先発出場
初打席:同上、1回表に斉藤和巳から二塁ゴロ併殺打
初安打:2007年7月26日、対福岡ソフトバンクホークス16回戦(福岡 Yahoo! JAPANドーム)、6回表に西山道隆から右前安打
初打点:同上、7回表に柳瀬明宏から右前2点適時打
初本塁打:2008年4月16日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏にドミンゴ・グスマンから右越先制ソロ
初盗塁:2009年9月25日、対オリックス・バファローズ22回戦(千葉マリンスタジアム)、2回裏に二盗(投手:岸田護、捕手:辻俊哉)
NPBその他の記録
オールスターゲーム出場:3回 (2012年、2015年、2016年)
独立リーグ時代の成績編集



2006高知8525364874982853211.253
通算:1年8525364874982853211.253
背番号編集
9 (2006年)
61 (2007年 - 2016年)
3 (2017年 - )
代表歴編集
侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」
2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
脚注編集

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^ <雑草魂、千葉ロッテの中軸に> 角中勝也 「七尾発、高知経由、首位打者行き」(3/4) Number Web 2012年8月27日
^ <雑草魂、千葉ロッテの中軸に> 角中勝也 「七尾発、高知経由、首位打者行き」(4/4) Number Web 2012年8月27日
^ 2016年現在、高卒1年目の独立リーグ選手で、支配下登録枠のNPBドラフト指名を受けた事例は角中のみである。
^ “角中、独立L出身初の球宴「成長した姿を見せたい」”. スポーツニッポン (2012年7月12日). 2012年7月12日閲覧。
^ “中島を連続敬遠にファン「死ね」…首位打者争いロッテ逃げた”. スポーツニッポン (2012年10月7日). 2014年9月10日閲覧。
^ “中島への四球攻めに大ブーイング 角中「監督が嫌われ役になって…」”. スポーツニッポン (2012年10月6日). 2012年10月17日閲覧。
^ “中島2タコで“降参”「面白くしたろうと思ってたけど」”. スポーツニッポン (2012年10月8日). 2012年10月17日閲覧。
^ “角中選手が首位打者のタイトルを獲得!!”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2012年10月10日). 2012年10月10日閲覧。
^ “角中がパ首位打者 石川出身、松井以来 ”. 北國・富山新聞 (2012年10月10日). 2012年10月10日閲覧。
^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
^ 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
^ ファン感謝デーにて「角中の湯」を実施!!千葉ロッテマリーンズ ニュース、2012年11月24日
^ 角中大満足!月給13万が年俸4200万円日刊スポーツ、2012年12月15日
^ 2013WBC日本代表候補選手発表 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表候補選手 日本野球機構 (2012年12月4日) 2015年4月3日閲覧
^ “角中結婚!相手は「ズバズバ厳しいこと言う」4歳年上”. スポニチ Sponichi Annex (2013年1月31日). 2013年2月4日閲覧。
^ 2013WBC日本代表28選手の発表 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月2日閲覧
^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構オフィシャルサイト (2013年2月20日) 2015年4月2日閲覧
^ [1]
^ 角中 パではイチロー以来の大差2分5厘差首位打者 - スポニチ
^ a b c d e 『週刊プロ野球データファイル』2012年54号、ベースボール・マガジン社、雑誌27204-12/26、5-6頁。
^ 週刊ベースボール2012年10月29日号
^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』 白夜書房、2009年、55頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2012』 白夜書房、2012年、80頁。ISBN 978-4-86191-872-8。
^ 『プロ野球選手114人が選ぶ! 現役最強ベストナイン』 宝島社、2012年、104頁。ISBN 978-4-8002-0122-5。
^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、134頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2013』 廣済堂出版、2013年、418-419頁。ISBN 978-4-331-51710-9。
^ “ロッテ・角中 中犠飛で二塁から一気に生還できたワケ”. スポニチ Sponichi Annex (2013年9月15日). 2013年10月6日閲覧。
^ “大型戦力ソフトバンクは“足”で倒せ!ロッテ・角中勝也の走塁への執念。(1/4)”. Number Web ナンバー (2014年4月21日). 2014年4月21日閲覧。
^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2007』 白夜書房、2007年、47頁。ISBN 978-4-86191-246-7。
^ ロッテ7巡目角中、強肩アピール日刊スポーツ、2006年12月12日
^ “角中神話継続中「打点挙げれば」ロッテ13連勝だ”. スポーツニッポン (2012年6月6日). 2012年6月19日閲覧。
^ “独立L時代から主食は牛丼 ロッテ・角中”. デイリースポーツ (2012年5月13日). 2012年6月19日閲覧。
^ “ロッテ角中カクヘン中!4連チャンV打点”. nikkansports.com (2012年5月20日). 2012年10月10日閲覧。
^ “柔道女子・松本らに続く栄誉 ロッテ角中に石川県スポーツ特別賞”. スポニチアネックス. (2016年11月16日) 2016年11月16日閲覧。
関連項目編集

石川県出身の人物一覧
高知ファイティングドッグスの選手一覧
千葉ロッテマリーンズの選手一覧
外部リンク編集

個人年度別成績 角中勝也 - NPB.jp 日本野球機構

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