常陸丸、

海戦の装備を持たない輸送船は、

三隻の敵艦の猛砲撃を受けて


船上は修羅の巷

山縣少佐以下
一千有余名は、無念の涙で波間に没す



それだけではない、その補給を待っていた兵士達は、

おそらく、飲まず食わずで…


こんな大きな悲劇を体験しながら、

なぜ、大東亜戦争の時、輸送船に護衛が、少なかったのか

回せなかったんだろうけど、でも、食べずに戦える物でもなく


あとになっては、当時の様子は、分かりません…


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