『この外科部門は、準備が整い次第閉鎖になり、スタッフは全員、コロナ感染の前線に異動してもらいます』東洋経済から
2021年8月25日 アニメ・マンガ
日本人が知らない英国「コロナ病棟」のリアル
現地在住看護師が語る医療崩壊を防ぐ仕組み
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ピネガー 由紀 : イギリス正看護師、フリーランス医療通訳
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2020/06/03 5:35
6月1日時点の新型コロナウイルス累計感染者数が約28万人に上るイギリス。一時期は感染爆発が懸念されたが、病院は窮地をどう乗り切ったのか(写真:Kirsty Wigglesworth/Pool via REUTERS)
「この外科部門は準備が整い次第閉鎖になり、スタッフは全員、新型コロナウイルス感染の前線に異動してもらいます」。3月下旬に近いある日、勤務先の大学病院の外科部門で師長から部署全員が通達を受けた。「ついに来たか」。ある程度の予想はしていたものの誰もが動揺を隠せない。
3月5日にイギリス初の新型コロナによる死亡が発生すると、それまでの他人事のような雰囲気が一転、欧州ほかの国を追うようにイギリスでも感染と死亡件数は急上昇した。イギリスは新型コロナが発生する前から、看護師4万人、医師9000人が足りないと言われていた。そんな中でどうやって新型コロナ治療に向けた医療従事者を確保するのか――。
コロナ治療に病院資源を集中
とうとう3月17日、国からイギリス中の医療機関に通達が出された。新型コロナ感染に対応していくための具体的な体制づくりに向けた方針かつ各医療機関への指示であり、その中には以下のことも含まれている。
1. 入院、集中治療室に備えて設備を最大化すること
不急な手術をすべて延期する。退院が可能な患者は地域医療に引き継いで早急に退院。これによりスタッフが新型コロナ感染対策の研修に時間を費やせる。独立セクター(プライベート病院など)の病床も活用する。以上の施策により、イギリス中で3万床を確保する。
2. スタッフへのサポート、スタッフの活用を最大化すること
引退した看護師、医師の復帰要請。
医学生、看護学生の動員。
通常の専門業務を越える医療業務。
冒頭の師長からの通達は、この手紙の指示を受けた病院のアクションプランだった。
イギリス医療の軸であるNHSは、現在は税収とプライベート診療からの収入を得て、半民半官として運営されている。とはいえ国営色は強く、国からの統制を出しやすい。
不急とされる部門が次々に閉鎖・縮小されたことで手が空いたスタッフが、新型コロナ感染の前線に半強制的に回される代わりに、空いた部門での経済的損失(特にプライベート診療用の病棟、病床)は新型コロナ感染病棟として活用することで国が経済補償を約束した。
日本の保健所と同様の役割を持つNHS111と、救急受け入れの連携も国からのガイドラインを受け、地域レベルでの細かい指示が出された。特に新型コロナ感染、もしくは感染疑いの患者の受け入れ体制については、「receiving unit」と呼ばれる部門の役割や、トリアージの方法まで各病院で細かく規定を出すように国から指示が出て、これによりどのような患者でも拒否することなく受け入れる体制が整った。
患者を大量に受け入れるための病院側の準備負担は大きかった。しかし、経済的な補償に加えて、医療従事者を自由に異動させる権利が与えられた(通常のNHSでは本人の承諾なしに所属部署の異動はさせない)ことで、病院側も動きやすかった。
4500人の引退した医師・看護師が復帰に同意
一方、現場スタッフは健康上の理由がない限りは国からの通達ということで、選択肢も反論の機会もない。多くのスタッフは不満と不安を抱えながらも、前線招集に従うよりほかなかった。
医療従事者の確保に向けて、国が真っ先に行ったのが前記の通達のとおり、引退した医師、看護師の復職要請である。イギリスでは医師も看護師も免許は更新制。そのため一度引退した医療者には特別に免許更新を認める特例を国が出した。3月22日の時点で4500人の引退した医師と看護師が一時的に復帰をする同意をしている。
これに続いて医学生、看護学生の動員もされた。例えば、最終学年の医学生で夏前に卒業予定の学生は「繰り上げ卒業」で早めに卒業し、医師として現場に動員された。卒業まで半年をきった看護学生も看護師として配置、卒業まで半年以上の2年生と3年生に関しては「有給実習」という名目で病棟の手伝いに回した。
ただし、2年生と3年生を前線で働かせることには疑問の声も上がっている。イギリスの看護学校では、規定の実習時間をこなすことが卒業条件。パンデミックの時期なので実習を拒否する選択肢もあるが、それでは実習不足で卒業が遅れてしまう。そのため、やむをえず実習を継続して前線に配置されることもあるのだ。実際、筆者の勤務先病棟にも2年生と3年生の看護学生が実習中である。
4月には、通常の専門分野とは異なる医師や看護スタッフによる新型コロナ病棟勤務も始まった。簡単に言えば、多くが内科で働くことになったわけだが、チーム編成は専門の内科出身は、医師も看護師も半数以下。残りは眼科、歯科、整形外科、遺伝子治療科、セクシュアルヘルス部門、外来の一部など、「不急部門」とされ閉鎖や縮小されて前線に招集されてきた「院内寄せ集め医療チーム」だ。
同じく「寄せ集め」と揶揄される正月名物、箱根駅伝の関東学生連合チームだって全員、駅伝選手だ。「陸上だから」と、円盤投げや三段跳びの選手を投入はしていない。それくらいこのチームは現実離れをしていた。
専門医を専門外医師がサポート
初日に統括の女性内科上級医が思わず苦笑いをした。でも「院内寄せ集めチーム」はそんな余裕さえない。「本当にここでやっていけるのか?」私を含めて誰もが不安を感じていた。
こうした課題を払拭するべく、スキルと経験のあるスタッフとないスタッフの組み合わせが駆使された。医師も看護師も内科が主導する形が取られ、医師の場合は内科上級医の監督、サポートのもと専門外の医師が研修医としてつき仕事をしていく。
同様に看護師も内科看護師がリードをとる。実際に最初の1週間は内科看護師と専門外の看護師で2人1組となり仕事をした。病棟勤務を離れた看護師にとっての大きな不安は複数患者の同時管理だ。受け持ち人数は4人から8人と、通常の病棟看護師の配置人数に比べたら比較的ゆとりがある。それでも複数患者をどう管理していくのかは重要な要素となる。
例えば、患者Aは発熱と血圧が下がり頻脈、患者Bは急性腎障害のような症状、患者CはSpO2(動脈血酸素飽和度)が低下して頻呼吸。複数患者の容体悪化は新型コロナ病棟では珍しくない光景である。もちろん他の受け持ち患者の看護も自分の業務だ。
このような場合のドクターへの報告や連携、仕事の優先順位を組み、同僚に応援を要請して具体的な指示を出していくこと。冷静なままで素早く的確な判断。病棟勤務時代には当たり前にこなしていたスキルを内科専門看護師との勤務、指導により取り戻していった。こんな指導は学生以来である。
新型コロナ患者が増え続ける中、新たにいくつかの感染病棟が院内に設置され、その中には外科専用の新型コロナ感染病棟も用意された。患者の増加率や入院パターンに合わせて病棟数や形は変わっていった。実際に私も途中で別のコロナ病棟異動をさせられ今に至る。
無謀にも見えたこのチーム編成だが今までを振り返ってみて大成功と言える。最大の理由は、サポートやバックアップが厚いことだ。通常、医師チームが病棟に1日常駐するなどありえない。ところが、新型コロナ感染病棟では内科上級医さえも1日、病棟に常駐している。
看護師にしても同様だ。患者の受け持ち数は通常の内科病棟の半分近く。わからないことがあれば、すぐに内科看護師のサポートが受けられる。看護助手も多く配置されているので、看護師業務に専念できる。医師も看護師も、病欠を見越して十分な人数が確保されていたので皆が、「自分の本来の業務よりもラクだ」と感じている。
寄せ集め医療チームは一様に、本人の意思とは無関係に新型コロナ医療の前線に送られ、感染への恐怖に加えて、専門外の内科が務まるのか不安を抱えていた。だからこそ、互いを理解し、助けあって乗り切ってきた。「仲間」と呼べる存在だ。こうして物理的だけでなく、精神的にも内科と非内科の組み合わせ技で編成された医療チームは現場スタッフに大きなメリットをもたらしたのである。
閉鎖部門の完全な再開は未定
5月半ばにロックダウンが一部解除された頃から少しずつ病院の閉鎖部門も再開の目安が話し合われているが、ソーシャルディスタンスのために、規模をもとどおりにすることは当分無理だろうと言われている。そのうえ新型コロナ患者は減少したとは言え、入院患者は毎日のように来る、現在進行形の問題なのだ。だからこそ病院側でも各部署の完全な再開の予定はまったく未定としか言えない。
閉鎖部門からの医師や看護師は、たいていは専門性の強い分野であり、今は研修中やトレーニング中の立場であることも多い。筆者自身もその1人だが、特に各専門分野での研修医にとっては本来ならこなしているの研修プログラムも遅れ、一時停止状態になったままだ。
各閉鎖部門では手術を待つ患者は増えていく一方で、ウェイティングリストを解消するのは長期戦になるだろう。幅広い患者の受け皿を整えて貢献していくためにも、医師や看護師の1日も早い研修復帰が望まれる。
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東洋経済さんからの、お話でした
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2020/06/03 5:35
6月1日時点の新型コロナウイルス累計感染者数が約28万人に上るイギリス。一時期は感染爆発が懸念されたが、病院は窮地をどう乗り切ったのか(写真:Kirsty Wigglesworth/Pool via REUTERS)
「この外科部門は準備が整い次第閉鎖になり、スタッフは全員、新型コロナウイルス感染の前線に異動してもらいます」。3月下旬に近いある日、勤務先の大学病院の外科部門で師長から部署全員が通達を受けた。「ついに来たか」。ある程度の予想はしていたものの誰もが動揺を隠せない。
3月5日にイギリス初の新型コロナによる死亡が発生すると、それまでの他人事のような雰囲気が一転、欧州ほかの国を追うようにイギリスでも感染と死亡件数は急上昇した。イギリスは新型コロナが発生する前から、看護師4万人、医師9000人が足りないと言われていた。そんな中でどうやって新型コロナ治療に向けた医療従事者を確保するのか――。
コロナ治療に病院資源を集中
とうとう3月17日、国からイギリス中の医療機関に通達が出された。新型コロナ感染に対応していくための具体的な体制づくりに向けた方針かつ各医療機関への指示であり、その中には以下のことも含まれている。
1. 入院、集中治療室に備えて設備を最大化すること
不急な手術をすべて延期する。退院が可能な患者は地域医療に引き継いで早急に退院。これによりスタッフが新型コロナ感染対策の研修に時間を費やせる。独立セクター(プライベート病院など)の病床も活用する。以上の施策により、イギリス中で3万床を確保する。
2. スタッフへのサポート、スタッフの活用を最大化すること
引退した看護師、医師の復帰要請。
医学生、看護学生の動員。
通常の専門業務を越える医療業務。
冒頭の師長からの通達は、この手紙の指示を受けた病院のアクションプランだった。
イギリス医療の軸であるNHSは、現在は税収とプライベート診療からの収入を得て、半民半官として運営されている。とはいえ国営色は強く、国からの統制を出しやすい。
不急とされる部門が次々に閉鎖・縮小されたことで手が空いたスタッフが、新型コロナ感染の前線に半強制的に回される代わりに、空いた部門での経済的損失(特にプライベート診療用の病棟、病床)は新型コロナ感染病棟として活用することで国が経済補償を約束した。
日本の保健所と同様の役割を持つNHS111と、救急受け入れの連携も国からのガイドラインを受け、地域レベルでの細かい指示が出された。特に新型コロナ感染、もしくは感染疑いの患者の受け入れ体制については、「receiving unit」と呼ばれる部門の役割や、トリアージの方法まで各病院で細かく規定を出すように国から指示が出て、これによりどのような患者でも拒否することなく受け入れる体制が整った。
患者を大量に受け入れるための病院側の準備負担は大きかった。しかし、経済的な補償に加えて、医療従事者を自由に異動させる権利が与えられた(通常のNHSでは本人の承諾なしに所属部署の異動はさせない)ことで、病院側も動きやすかった。
4500人の引退した医師・看護師が復帰に同意
一方、現場スタッフは健康上の理由がない限りは国からの通達ということで、選択肢も反論の機会もない。多くのスタッフは不満と不安を抱えながらも、前線招集に従うよりほかなかった。
医療従事者の確保に向けて、国が真っ先に行ったのが前記の通達のとおり、引退した医師、看護師の復職要請である。イギリスでは医師も看護師も免許は更新制。そのため一度引退した医療者には特別に免許更新を認める特例を国が出した。3月22日の時点で4500人の引退した医師と看護師が一時的に復帰をする同意をしている。
これに続いて医学生、看護学生の動員もされた。例えば、最終学年の医学生で夏前に卒業予定の学生は「繰り上げ卒業」で早めに卒業し、医師として現場に動員された。卒業まで半年をきった看護学生も看護師として配置、卒業まで半年以上の2年生と3年生に関しては「有給実習」という名目で病棟の手伝いに回した。
ただし、2年生と3年生を前線で働かせることには疑問の声も上がっている。イギリスの看護学校では、規定の実習時間をこなすことが卒業条件。パンデミックの時期なので実習を拒否する選択肢もあるが、それでは実習不足で卒業が遅れてしまう。そのため、やむをえず実習を継続して前線に配置されることもあるのだ。実際、筆者の勤務先病棟にも2年生と3年生の看護学生が実習中である。
4月には、通常の専門分野とは異なる医師や看護スタッフによる新型コロナ病棟勤務も始まった。簡単に言えば、多くが内科で働くことになったわけだが、チーム編成は専門の内科出身は、医師も看護師も半数以下。残りは眼科、歯科、整形外科、遺伝子治療科、セクシュアルヘルス部門、外来の一部など、「不急部門」とされ閉鎖や縮小されて前線に招集されてきた「院内寄せ集め医療チーム」だ。
同じく「寄せ集め」と揶揄される正月名物、箱根駅伝の関東学生連合チームだって全員、駅伝選手だ。「陸上だから」と、円盤投げや三段跳びの選手を投入はしていない。それくらいこのチームは現実離れをしていた。
専門医を専門外医師がサポート
初日に統括の女性内科上級医が思わず苦笑いをした。でも「院内寄せ集めチーム」はそんな余裕さえない。「本当にここでやっていけるのか?」私を含めて誰もが不安を感じていた。
こうした課題を払拭するべく、スキルと経験のあるスタッフとないスタッフの組み合わせが駆使された。医師も看護師も内科が主導する形が取られ、医師の場合は内科上級医の監督、サポートのもと専門外の医師が研修医としてつき仕事をしていく。
同様に看護師も内科看護師がリードをとる。実際に最初の1週間は内科看護師と専門外の看護師で2人1組となり仕事をした。病棟勤務を離れた看護師にとっての大きな不安は複数患者の同時管理だ。受け持ち人数は4人から8人と、通常の病棟看護師の配置人数に比べたら比較的ゆとりがある。それでも複数患者をどう管理していくのかは重要な要素となる。
例えば、患者Aは発熱と血圧が下がり頻脈、患者Bは急性腎障害のような症状、患者CはSpO2(動脈血酸素飽和度)が低下して頻呼吸。複数患者の容体悪化は新型コロナ病棟では珍しくない光景である。もちろん他の受け持ち患者の看護も自分の業務だ。
このような場合のドクターへの報告や連携、仕事の優先順位を組み、同僚に応援を要請して具体的な指示を出していくこと。冷静なままで素早く的確な判断。病棟勤務時代には当たり前にこなしていたスキルを内科専門看護師との勤務、指導により取り戻していった。こんな指導は学生以来である。
新型コロナ患者が増え続ける中、新たにいくつかの感染病棟が院内に設置され、その中には外科専用の新型コロナ感染病棟も用意された。患者の増加率や入院パターンに合わせて病棟数や形は変わっていった。実際に私も途中で別のコロナ病棟異動をさせられ今に至る。
無謀にも見えたこのチーム編成だが今までを振り返ってみて大成功と言える。最大の理由は、サポートやバックアップが厚いことだ。通常、医師チームが病棟に1日常駐するなどありえない。ところが、新型コロナ感染病棟では内科上級医さえも1日、病棟に常駐している。
看護師にしても同様だ。患者の受け持ち数は通常の内科病棟の半分近く。わからないことがあれば、すぐに内科看護師のサポートが受けられる。看護助手も多く配置されているので、看護師業務に専念できる。医師も看護師も、病欠を見越して十分な人数が確保されていたので皆が、「自分の本来の業務よりもラクだ」と感じている。
寄せ集め医療チームは一様に、本人の意思とは無関係に新型コロナ医療の前線に送られ、感染への恐怖に加えて、専門外の内科が務まるのか不安を抱えていた。だからこそ、互いを理解し、助けあって乗り切ってきた。「仲間」と呼べる存在だ。こうして物理的だけでなく、精神的にも内科と非内科の組み合わせ技で編成された医療チームは現場スタッフに大きなメリットをもたらしたのである。
閉鎖部門の完全な再開は未定
5月半ばにロックダウンが一部解除された頃から少しずつ病院の閉鎖部門も再開の目安が話し合われているが、ソーシャルディスタンスのために、規模をもとどおりにすることは当分無理だろうと言われている。そのうえ新型コロナ患者は減少したとは言え、入院患者は毎日のように来る、現在進行形の問題なのだ。だからこそ病院側でも各部署の完全な再開の予定はまったく未定としか言えない。
閉鎖部門からの医師や看護師は、たいていは専門性の強い分野であり、今は研修中やトレーニング中の立場であることも多い。筆者自身もその1人だが、特に各専門分野での研修医にとっては本来ならこなしているの研修プログラムも遅れ、一時停止状態になったままだ。
各閉鎖部門では手術を待つ患者は増えていく一方で、ウェイティングリストを解消するのは長期戦になるだろう。幅広い患者の受け皿を整えて貢献していくためにも、医師や看護師の1日も早い研修復帰が望まれる。
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