太平洋戦争開戦から4ヶ月あまり、連戦連勝の日本に冷水を浴びせたのが「ドゥーリトル空襲」と呼ばれるアメリカ軍の攻撃です。

真珠湾攻撃を受け、フィリピンで敗退しつつあったアメリカは、空母に陸軍の爆撃機を乗せてひそかに日本本土に近づき、東京や川崎、名古屋など大都市を爆撃しました。

日本本土が襲われた初めての空襲です。軍事施設だけでなく学校などが無差別に襲われ、小・中学生も犠牲になりました。東京の各地域でこの空襲を受けた人々の証言で綴る番組です。




ドーリットル空襲とは[6]、1942年(昭和17年)4月18日に、 航空母艦ホーネットから発進したB-25双発爆撃機ミッチェル16機が、太平洋戦争で初めて日本本土攻撃をした一連の空襲[7][8][9] である。 ヨークタウン級航空母艦2隻(エンタープライズ、ホーネット)を基幹とするハルゼー提督指揮下のアメリカ海軍機動部隊が太平洋を横断し、日本列島(本州)東方海域に到達して行った[10][11]。 ジミー・ドーリットル中佐を指揮官とするB-25爆撃機16機は[11][12]、日本本土各地(東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸、等)に空襲を実施し、民間人に被害があった[13][14]。 軍事的な戦果は潜水母艦から航空母艦へ改造中の大鯨(龍鳳)が直撃弾で損傷[7]、またアメリカ軍機動部隊の掃討により漁船改造の特設監視艇隊に被害が出た程度だったが[15]、日本軍に与えた衝撃は極めて大きかった[8][16][17]。
作戦遂行において中華民国の国民革命軍の支援を受けており、日本本土爆撃を終えたB-25のうち15機は中国大陸に不時着して放棄された[8][18]。この際、搭乗員8名が日本軍の捕虜となり、その処遇を巡って問題になった[19][20]。また1機はソビエト連邦支配地域に不時着して、搭乗員は抑留された[8][18]。

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